ブギス
朝ごはんを食べにMRTでラベンダーの隣駅にあたるブギスへ移動する。日本で旅程を計画している時は徒歩10分ちょっとくらいに見えるから歩いて行こうと考えていたが、現地の蒸し暑さとバスの便利さを知ってしまった今はバス移動一択である。
ブギスストリートという雑然としたアーケード街を通り抜ける。
団地の集会所のようなところ。
その角をふっと曲がると、休日の朝から賑わっているホーカーセンターが現れる。
ブキット・プルメイ・ローミーという店でローミーを頼む。
ローミーはあんかけ麺。あんの粘度が高く混ぜ混ぜして食べる感じ。味付け玉子に鶏肉、チャーシュー、ミートボールと具沢山で、にんにくのすりおろしがジャンキーな味わいも出している。ミートボールと思って食べるとかりっとした歯ごたえで、意外性もあり。
ホーカーセンターでは食べ終わったトレイを下げる台が置いてあり、だいたい掃除をする人が貼り付いている。食べ終わってもトレイを下げずだらだら喋っていてもよくて、その辺は自由な感じだ。シンガポールでは街を歩くと必ずホーカーセンターにぶつかる。すごい。
リバーワンダー
ブギスからMRTでカーディブ駅へ。ここからリバーワンダーという河川をテーマにした水族館へ向かう。リバーワンダーは、他にシンガポール動物園、ナイトサファリ、バードパラダイスという自然系テーマパークが集まった「マンダイ・ワイルドライフ・リザーブ」というエリアにある。
カーディブ駅前でシャトルバスへ乗り込む。1ドルなり。お金取る必要あるのかなと思うが、地元民のついで乗りを防ぐためかもしれない。休日のせいかキッズが多数で車内は賑やか。所要20分程度。
リバーワンダーへ到着。チケットはウェブからしか申し込めず、園内にチケット売り場の類はいっさいない。この辺りも労働生産性の高さにつながりそうだ。
アマゾン川など六つの河川ごとに園内のエリアが別れている。
このパーク、半屋外みたいな建屋で、悪くはないのだけれども、自然光と、あと水槽周りのエンタテインメント的なごちゃごちゃした飾りつけもあり、写真が非常に取りづらい(水族館ってそもそも写真を撮るための場所でないと言われたらその通りですが)。
長江のチョウザメ。
パンダ。
アマゾンの猿や鳥が放し飼いにされているエリア。
鳥。
目玉のアマゾン浸水林。アマゾン川は雨季と乾季で水位が大きく変わり、雨季は10メートルほども水位が上がるそうだ。それで林が水面下になってしまったのを再現している水槽。
マナティーが泳いでいる。時々ヒレで頭をかくような仕草をしており、マナティーが魚類でなく哺乳類だということを感じさせる。
眺めているとマナティーがうんこをしていた。水面に浮いていた草みたいなの、マナティーのうんこだったのか。生き物だから別にうんこしていいのだが。
リバーワンダー、期待して訪れたのだが、あくまで個人的にはだけど、そこまでぐっとは来なかった。河川をテーマにした水族館だと、岐阜県にあるアクア・トトぎふの方が地元長良川に立脚した実直な展示で好みかも。リバーワンダーはやや総花的な嫌いがある。一方、展示はボリューミーだし、あと、まあまあ辺鄙なところに所在しているにも関わらず交通機関を整えて気軽に訪問できるようにしているのは素直に偉いと思う。
帰りもシャトルバスでカーディブ駅へ。1ドルのはずだがお代はいらないと運転手が言う。よく見ると、本来運転席の左わきに設置されるはずのEZリンクカードをタッチする機械自体がない。推測するに、繁忙期なので機械のない車体も臨時調達しているのでないか。
昼ごはんは肉骨茶(バクテー)を食べる予定だったのだが、朝のローミーが結構ボリューミーだったせいかそこまでおなかぺこぺこでない。計画を変えてチョンバルにあるホーカーセンターへ行ってみよう。Googleマップで調べると、North South線をオーチャードで降りて、そこからバスで行けるらしい。
チョンバルマーケット
オーチャードでバスを待つ図。主要なバス停には電光掲示板で何番のバスが何分後に来るか表示され、とても便利。
チョンバルマーケットへ。
二階にあるホーカーセンターが広々していて、地元民で賑わっていて、とてもいい雰囲気!
地元民が行列を作っている店がいいはずなので、物色する。その前に喉が渇いたので飲み物だ。そう、落ち着こう。まだあわてるような時間じゃない。
行列のあった店でレモン入りのサトウキビジュースを頼む。
注文すると店の奥でおばちゃんがさとうきびを粉砕し始める。フレッシュだ。生き返る~。
ごはんは李鴻記廣東焼臘でチャーシューライス。
甘いタレがかかっており、もちろん美味しい。セルフコーナーで調達したチリソースを混ぜると味が締まる。ホーカー飯最高だな。
ホテルへ戻って休憩。
シンガポール国立博物館
チケットの種類が複数ある。常設展のみは15シンガポールドル。
シンガポールの通史を扱っており、植民地以前、イギリス植民地時代、日本占領下、戦後、という構成になっている。
シンガポールはイギリス植民地時代に国際自由貿易港として発達し、中国人やインド人が多く流入した。
1942年に日本軍がマレー半島を侵攻し、シンガポールも占領。昭南島と名を変えられる。ちなみに、日本軍がマレー半島のジャングルを進軍する際に使った自転車、通称銀輪部隊も展示されていた。
戦後、マレー半島全体がイギリスから独立しマラヤ連邦が誕生するも、半島側との政治的対立からシンガポールは国家として分離。具体的にどういう対立があったのか興味があったのだけれども、あまり詳しく説明されていなかった(読み飛ばしてしまっていたらごめん)。
独立したシンガポールにとって最重要の課題は高い失業率。それを解消するために工業化を進めた。また、住居不足も深刻な課題だった。住宅開発庁(Housing & Development Board = "HDB")は1970年代からHDBフラットと呼ばれる団地を大量供給した。また、HDBは生活の質を上げるため、フラットに店舗や学校、ホーカーセンターも併設するよう取り組んだ。なるほど、団地の一階に必ずといっていいほどホーカーセンターがあるのは政府の施策だったのか。
また、シンガポールは歴史の浅い多民族国家のため、国としてのアイデンティティを作っていくのにも腐心したとのこと。ここは考えさせられた。今回自分が訪れたガーデンズ・バイ・ザ・ベイもリバーワンダーも風土や歴史に根ざしたというよりは半ば強引に据え付けた名所という感が否めないと思うが、むしろそのようにせざるを得なかったシンガポールの苦渋を評価するべきなのかもしれない。
リトル・インディア
博物館を出て、バスでリトル・インディアへ。
有名なショッピングビル、テッカセンターは改装中だった。
もちろん、行き交う人はインド系が多い。
リトル・インディアのドンキとも言われるムスタファセンター。
でけー。
スパイスの棚などを見る。コリアンダーパウダーが100gで100円くらいなので、やはり日本より安い。
しかし、この建物、めちゃくちゃ奥行きがあって、どこまで進んでも終わりがないなと思っていたが、
二つの建物が空中廊下でつながっていたんですね。大阪の船場センタービル方式か。
晩ごはんはリトル・インディアの端の方にあるMTRシンガポール。インド系の人で行列ができている。
20分ほど待って着席。
マサラドーサとマサラティーを注文。
ドーサは発酵した豆の粉で作ったクレープですね。マサラドーサだと中にスパイス風味のじゃがいもが入っている。添えられているのはチャツネというタレ。緑色がココナッツ風味で、赤いのが普通に辛い。
もちろん、美味しいのだが、シンガポールで食べた他のごはんに比べ、東京で食べるのとそこまで差はない。東京のインド料理店のレベルがやたら高いのかもしれん。
マサラティーが配膳される時、店員が「砂糖はこれね」と卓上にあった砂糖壺を示した。ということは甘くないのかなと一口すすると確かに甘くない。などとやっていると隣席のインド系夫婦が、「砂糖入れないと!」ってわざわざ話しかけてくれた。砂糖壺にスプーンがないので、自分のティースプーンでかき混ぜてしまったらそれ以上砂糖が追加ができない。さて、何杯入れるべきかと悩み二杯入れる。隣の夫婦もマサラティーを頼んでおり、奥様の方は五杯くらい砂糖を入れていた。なるほど、そういう感じね……!