ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『エレファントヘッド』(白井智之/2023)

 アフリカゾウは脳内に百十億個のニューロンをもつことで、四千キロから七千キロの巨体を動かしている。人類はより小さなからだであるにも関わらず、アフリカゾウを上回る百十五億個のニューロンをもっているという。つまり、人類の脳にはまだ余力があるのだ――
 白井智之は日本の小説家。2014年に横溝正史ミステリ大賞の最終候補から『人間の顔は食べづらい』でデビュー。2023年、『名探偵のいけにえ』が本格ミステリ大賞を受賞した。

 圧縮された展開、過剰な情報量、異様な悪趣味、にも関わらずきちんと推理小説として舞台立てていて、すごい。このはちゃめちゃなシチュエーションを推理小説へと転移させる手腕自体が読みどころなので、「これから読むぞ」という方は是非ネタバレなしをお勧めしたい。一方、残虐描写や性的暴行場面が全編に渡り繰り広げられるため、そういうのが苦手な人は手に取らない方がよいかも……(以下の感想は大いにネタバレしています)

 夢沢文哉は神々精(かがじょう)医科大学付属病院の精神科へ入院している患者だ。ある日、院内で知り合った高校生彩夏が突如路上で爆散するところを目撃する。これは現実か、妄想か……?
 精神科医象山晴太は、女優である妻季々、大学生で音楽ユニットの覆面ボーカルとして活躍中の長女舞冬、そして、次女の彩夏を家族にもち、平穏な日々を送っていた。彼は幸福な家庭に満足しつつ、それが破壊されることを極度に恐れていた。ある日、象山は舞冬を付け狙う芸能記者らしき存在を発見する。警察の伝手を使い記者の元へ辿り着くと、象山はその記者を殺害した。
 象山は記者の死体を亡父の廃屋敷へと隠した。屋敷には象山の性奴隷「ぺぺ子」が監禁されていた。象山は家庭を壊さないよう性処理を外で済ませていたのだった。象山は言いなりの同僚医師に記者の死体遺棄を指示する。帰り道、象山は偶然知り合ったすきっ歯の若い男を買い、ホテルへ連れ込んだ。そのホテルで、象山は旧知の売人から新しいドラッグ「シスマ」を買った。
 長女舞冬が恋人を家に連れて来ることになった。が、その恋人は象山はが買ったすきっ歯の男だった。男性買春が発覚し、家族の中で立場を失ってしまう。思い余った象山は現実逃避のため「シスマ」を自分へ注射した。その後、象山は時間を遡行したのと同時に、自分の意識が二つに分裂したことを知る――

 とにかく展開が目まぐるしい。
 相手が精神病患者だと思わせて実は自分の方が患者だったとか、主人公が実は自分の利益のためなら殺人も辞さないサイコパスだったとか、多元宇宙化して成功している自分と失敗している自分が登場するとか、かつてなら一作品のメインに使われるようなネタが章ごとに繰り出される。
 本作の推理小説としての最大の特徴は、「並行世界の自分が人を殺すと全並行世界の同一人物がおなじ死因で死ぬ」という特殊設定の導入により、「どの並行世界の自分が殺人を犯したのか?」という「犯人当て」(容疑者は全員自分)のオリジナリティ溢れるシチュエーションを作り出したことだろう。多重人格も並行世界も類例は多数あるが、並行世界の主人公たちが夢の中でのみ一堂に会するので推理合戦が成立する、というのが秀逸なアイディアだ。
 ちなみに、人格が分裂すると波動関数が収縮して並行世界が現れ時間も遡行する、という作中の説明は何度読んでもさっぱり分からないのだが、それでもなんとなく納得して読み進められてしまうのは、小林泰三の「酔歩する男」(『玩具修理者』(1996)所収)が前提知識となっているからでなかろうか(『エレファントヘッド』を読む人はだいたい「酔歩する男」も読んでいるという)。
 推理合戦(いわゆる多重推理)の内容も凝っており、「並行世界間で矛盾した死因で同時に死ぬと、他の世界では矛盾を解決するために爆散する」という推理は(相当強引ではあるが)唸った。しかもこれが捨て推理なのだ。
 一方、序盤からどうかと思うような世界観描写が連発される。例えば、長女舞冬の音楽ユニットがTVドラマのタイアップになる場面。

 ドラマは『殺人メシ』というタイトルで、一家皆殺しが十八番のシリアルキラーが殺人現場の冷蔵庫で見つけた有り合わせの食材からあっと驚く手料理を作り上げる新感覚のグルメストーリーだという。

 そんなドラマがあるかい! と思うが、こういうインパクトのあるフレーズがちゃんとあとで推理小説としての手掛かりになってくるのが、悔しい。

 個人的に、前作『名探偵のいけにえ』は、南米ガイアナを舞台に実在の「人民寺院事件」を取り扱っており、お話として劇的に描こうと思えばいくらでも描ける素材であったと思うが、それらはすべて多重推理を成立させるためのみに使われ(もちろん、その意図は十分に理解するが)、その他いくつか気になった点もあり、「頭の中で作った」ような印象であった(嫌ですね、こういうの。かつての新本格批判みたいで)。
 本作『エレファントヘッド』はまさしく「頭の中」を舞台としており、俄然白井智之のよさが発揮されていて、いい舞台設定をもってきたなと感じた。推理のツイストも悪趣味描写もアクセルを効かせまくっており、とても面白かったです。