ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『密閉山脈』(森村誠一/1971)

 登山仲間の二人の男が八ヶ岳で遭難していた美女を救助する。女は恋に破れ自殺を図って山を訪れていたが、命を救ってくれた男たちに惹かれていく。三人は北アルプスへの登山旅行を計画するが、山上で惨劇が訪れる――
 森村誠一は日本の小説家。1969年に『高層の死角』で江戸川乱歩賞を受賞し、社会派推理作家として脚光を浴びる。1972年に『腐蝕の構造』で日本推理作家協会賞受賞。1976年の『人間の証明』は角川書店の映画化戦略が奏功しベストセラーとなった。

 自分は森村誠一推理小説が好きなんだけれども、著作が多数あるため一部しか読めていない。最近、華文ミステリであるところの周浩暉を読んでいて「森村誠一に通じる作風だな」と感じ、未読だった『密閉山脈』を十数年ぶりの森村作品として手に取ってみた。
 久々に森村節を堪能した。
 森村の人物描写は、陰翳がないというわけでないのだが、それを全部ストレートに書いてしまうところが特徴的である。例えば、ヒロイン湯浅貴久子が、職場の先輩中井から、自分を助けてくれた影山、真柄たちへ心変わりしていく場面。

 中井も鋭かった。常に世の中に挑戦している鋭角を自分の中にもちあぐね、組織の大きさの中にみすみす腐らせていくのをふてくされたような、虚無的なかげりを帯びた鋭さがあった。
 だがその鋭さは、今にして思えば、自分の儲けばかり計算している商人の鋭さであった。
 貴久子を救ってくれた二人の男の鋭い感じは、中井とは本質的に異なっている。アルプスの風雪と高燥な大気に磨かれて、不純なもののいっさいを捨象した男の結晶がそこにあるように見えた。

「鋭角」、「高燥」のような熟語遣いといい、サラリーマン社会への過剰な敵視と山への過剰な賛美といい、うーん、実に森村節。
 推理小説でありながら殺人事件が発生するのは中盤で、ではそれまで退屈なのかというと、ヒロイン貴久子と影山、真柄の三角関係をこういう森村節でこってり描くので、自分としてはとても面白いんですね。

 ※以下、ネタバレしています。

 あと、読んだ人の誰もが触れる、山での火葬場面。火葬場がないので人手で櫓を組んで遺体を焼くのですけれども、非常に凄惨なのですね。

 突然、ポンと竹の節がはねるような音がした。
「わっ」誰かが顔をおおった。貴久子はたしかに見た。井桁が炎に侵蝕されてグラリと崩れかけたはずみに、影山の頭部がガクと揺れて、その時どちらかの目玉が爆ぜたのである。
 思わず閉じた目を、ふたたび開いた時は、ふたつの眼窩のあたりからひときわ白熱した炎が勢いよく吹き出していた。

 このような描写が延々と数ページ続き、かつ、特に本筋には関係ないので(後述するけど本当はちょっとある)、「不気味な火葬描写がこんなに長いのは、なぜ……?」と読者に深い印象を刻み込む場面です。
 これはたぶん森村誠一なりのサービス精神なのでないかと思います。こういう独特なサービス精神とか、登場人物の裏も表も基本的に全部説明する描写スタイルとかが、個人的には前述の周浩暉に通じるところがありますね。

 推理小説的な味噌が二つあるなと思って。
 一つは、作中でも言及されている通り、影山の死は山での遭難によるものと思われ司法解剖がされないのですよね。本作のアリバイトリックは死亡推定時刻が割れるとすぐ見破られてしまうのですが、それを山という舞台設定をもってくることで回避している。
 もう一つは、トリックに気づくきっかけ。熊耳警部補は登山をたしなむだけあって、実際に自分が現場へ登頂したことでトリックを暴けたんだけど、ヒロイン貴久子はそうはいかないので、銀座のネオンサインで気づかせる。熊耳が謎を解いているので貴久子の気づきの場面まで必要かなと思うけど、ここをきちんと真面目に書いている(ゆえに若干過剰な感じがする)のが森村誠一の味なんだよなあ。

 以下、余談。
 本作は時代風俗描写がいくつかあります。
 その中の一つが、影山と貴久子がデートをする場面。

 さすが東洋一の規模を誇る高層ホテル呼び物の、回転展望食堂からの眺望ではあった。ここは東京平河町にある東京ロイヤルホテルの屋上にある『ロイヤルスカイサロン』である。地上四十二階、軒高百五十メートルの展望は、最近とみに高層化しはじめた東京の建物のすべてを”地上”に振り切り、都心にいながら遠い地平線まで視野の中におさめてしまう。

「東京ロイヤルホテル」はホテルニューオータニのことです(ニューオータニの住所は平河町でなく紀尾井町ですが)。おなじ名前で『人間の証明』ではメインの舞台として登場します。
 次は熊耳警部補が山岳救助へ出張る場面。

 話題になった山岳小説のすじだてに似ていると言おうとして、その小説のヒーローが山で悲劇的な遭難死をしたことを思いだしたからである。あの小説が出て以来、そのヒロイックな死に憧れて、まねをする愚かで単純な登山者が出たものだが、まさかこの娘の婚約者がそんな馬鹿げたまねをしたわけではあるまい。

 これ、自分はなんの作品を指しているのか分かりませんでした(新田次郎の『孤高の人』(1969)なのかな……)。