ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『カディスの赤い星』(上)(下)(逢坂剛/1986)

 1975年、独立PRマンの主人公が楽器メーカーのPR案件をきっかけに、「カディスの赤い星」と呼ばれる伝説のギターと、スペインのフランコ総統暗殺を巡る陰謀へ巻き込まれていく。
 逢坂剛は日本の作家。大手広告代理店博報堂勤務の傍ら、推理小説、冒険小説を多数手がける。『百舌の叫ぶ夜』を始めとする「百舌シリーズ」が近年『MOZU』としてTVドラマ化された。本作『カディスの赤い星』にて日本冒険小説協会大賞日本推理作家協会賞直木賞を受賞。

新装版 カディスの赤い星(上) (講談社文庫)
 

『百舌の叫ぶ夜』は昔読んでおり、大変面白いと思った。本作『カディスの赤い星』はスペインとギターがテーマと漠然と見知っていて、「スペインとギターか……」と以前はあまり食指が動かなかったけれども、最近になってスペインへの興味が湧いて手に取ってみたところ、これも大変面白かった。『カディス』も『百舌』も1986年発表で、どれだけ筆力が充実していたんだよと思っていたが……これは最後段で述べる。
 ちなみに、本作は「このミステリーがすごい!」が好みそうな作風で、この時代に「このミス」があったら間違いなく1位を取っていただろう(「このミス」は1988年スタート)。っていうか、冒険小説協会賞、推協賞、直木賞の三冠だから、普通にめちゃくちゃ評価されてますけどね。

 ※ネタバレしています。

 独立PRマンの漆田はクライアントである日野楽器に関わるトラブルに悩まされていた。一つは「全日本消費者同盟」による欠陥ギターの告発。告発者である「全消同」書記長の槇村真紀子は活動家と思えぬ強かさで日野楽器を揺さぶる。もう一つは、日野楽器がスペインから招聘したギター製作者ホセ・ラモスの人探し依頼。ホセ・ラモスは二十年前にスペインで一度会ったきりの「サントス」と名乗る日本人ギタリストを探していた。雲を掴むような話だが、漆田は徐々に手掛かりを手繰り寄せ、サントスに「パコ」と呼ばれる息子がいることを探り当てる。一方、ホセ・ラモスと一緒に来日した娘のフローラは、日本の新左翼接触し始めるのだった――

 ジャンルとしては冒険小説である。前半部は日本の企業社会が舞台で、一見、冒険小説的世界と無縁だが、ここに主人公が独立PRマンという設定が効いてくる。人探しや法律すれすれの行動といった立ち回りも、大企業のなんでも屋の立ち位置であればこそふさわしい。漆田は皮肉な軽口を叩いている内にいつしか国際的な陰謀に巻き込まていく。あたかもギャビン・ライアルの小説の主人公のように。
 スペインが舞台と聞いていたけど全然スペインが舞台にならないなと思って読み進めると、「パコ」が持ち去ったギター「カディスの赤い星」と、フランコ暗殺を胸に帰国したフローラを追って、スペインへ飛び立つ場面で上巻が幕。否が応でも下巻に期待させる。
 スペインはマドリードグラナダが主な舞台となる。グラナダでは人探しをしつつ、なんだかんだいってアルハンブラ宮殿とかを観光している感じもよい。

 ここにあるのは、草の緑と城壁の赤茶、そして空の青の三色だけだ。そのほかのけばけばしい色彩は、団体旅行のアメリカ人が着ている、服の色だった。彼らは、ガイドのしゃべる怪しげな英語に耳をそばだてながら、追い立てられる牛の群のように、右往左往していた。
 城砦の屋上に出ると、北側の崖下を流れるダロ川を越して、アルバイシンの街並みを見渡すことができた。赤茶けた屋根と白壁の密集が、アラビア人の最後の都であったグラナダの歴史を、無言のうちに物語っている。

 本作は三人のヒロインが登場するトリプルヒロインシステムを取っている。一人目は「全日本消費者同盟」書記長の槇村真紀子。消費者団体幹部と思えぬ「金持ちの未亡人」、「デート倶楽部の経営者」に例えられるようで華やかな見た目で主人公を翻弄する。二人目はギター職人ホセ・ラモスの娘、フローラ。TV局を訪問すればそこらの女優を圧倒してしまうような美貌の持ち主である。主人公との色恋はないが、特にスペインパートでは重要な役割を果たす。三人目こそ正ヒロイン、主人公のライバルである大手広告代理店萬広勤務のPRウーマン那智理沙代。彼女はやがて主人公と相思相愛になるも、黒幕の失策に巻き込まれ事故死する。本作は大変面白いのだけれども、男性主人公が成長するための通過儀礼として、助けることのできない不幸な女性を登場させるのは大変鼻白む。ここだけはどうにもいただけない。*1

 あとがきによると本作はデビュー前に書き溜めていた習作とのこと。これが前述の「『百舌』と同年に書いたのか?」という疑問の答えになる。
 また、主人公漆田がなぜスペイン語に堪能でスペインという土地に惹かれるのか、最後まで読んでも明らかにならない。が、あとがきで、本作がデビュー前に書かれた作品というのと、原題が『さらばスペインの日日』だったと知り、よく理解できた。つまり、本作は冒険小説が大好きでスペインが大好きな男が書いた一種の青春小説なのである。それを体現したのが主人公の造形そのものなのだろう。

*1:とりあえず自分はこういうのを「ロバート・R・マキャモンの『少年時代』パターン」と呼んでいる