ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『下村観山展』(東京国立近代美術館/2026)

 日本画の代表的な人物の一人、下村観山の展覧会。東京・皇居そばの国立近代美術館にて開催。観山の出身地である和歌山の県立近代美術館へも巡回予定。

 本展は二部構成となっており、「第1部 画業をたどる――生涯と芸術」は学生から晩年までの各時代の代表作を通史的に取り上げる。「第2部 制作を紐解く――時代と社会」は観山が依頼主の様々な要請に応えて制作していたことを、作品を通して概説する。
 下村観山、正直、名前くらいしか知らずどんな絵を描いてるとかも全然知識がなかったのだが、今回初めて真面目に見ると……まず、絵がうまい! チュルリョーニスのあとに見たからかもしれないけれども。それこそごりっごりの絵画アカデミー教育を受けているしな(藝大の前身である東京美術学校の一期生)。
 しかし、卒業制作で描いたという『熊野勧花』(東京藝術大学)を見ても、いくら絵画アカデミー教育を受けたからといって、21歳でこれを描くか? 単純にデッサン力があるとかだけでなく、大画面に多人数を的確に配置し動かす構成力がある。

 観山は二十代の頃にイギリスへ留学している。絵画の勉強に来ているので、当然、ロンドンのナショナル・ギャラリーは訪れているだろう。観山が訪れた1903年には『アルノルフィーニ夫妻像』(ヤン・ファン・エイク)、『愛の寓意』(ブロンズィーノ)、『シバの女王の船出』(クロード・ロラン)、『丘の麓の滝、村の近く』(ロイスダール)、『干し草車』(ジョン・コンスタブル)、『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』(ターナー)といった名作群がナショナル・ギャラリーへ既に収蔵されていた(ナショナル・ギャラリーは収蔵年で作品検索が可能)。イギリスでの詳細な動向までは解説がなかったけれど、観山もそういった名画を見ていたのだろうかと思いを巡らす。
 本展では観山のイギリス留学時代の軌跡としてラファエロの模写や(もちろん、うまい)やウェストミンスター宮殿のスケッチなどが展示されている。

 また、観山の「留学始末書」なども。ああ、この時代にも魔の「出張報告書」は存在していたのね……

 観山は留学前の時点でも一定程度、西洋絵画の影響を受けているが、留学中に描いたとされる『ダイオゼニス』は、全体の構図やタッチは中国画風なのに、人物の顔面の描き込みは西洋絵画風で、独特の味がある。

 第2部で示されるように、観山は富裕層からの依頼に基づいて絵画を制作することが多かったようだ。確かな技術に裏付けられながらも、画面が圧倒的に華やかで、当代で人気を博しただろうことも納得できる。画家としてゴッホやゴーギャンでなく、ルーベンスのようなタイプだったのだろうと思われる。
『小倉山』(横浜美術館)や『唐茄子畑』(東京国立近代美術館)といった屏風図の大作は、やはり大きな画面を活かした構成力と、ディテールの確かさ、それから全体としての華麗さがあり、自分のような日本画の素人にとってもよさが分かりやすい。

 全体に、縦軸として観山の学生時代から遺作まで変遷を網羅し、横軸としてテーマ史的な要素も組み合わせ、質、量共に充実した展示だったと思う。途中、夫婦と思しき高齢の男女の客が「すごい量だね。一日じゃとても見切れないよ」と話していた。
 写真撮影は個別に禁止の作品以外は原則自由だった。が、映り込みが強めのガラスだったので少々閉口した。まあ、設備更新するとなると結構なお金がかかるんでしょうけれどもね。

 閉館間際だったが、コレクション展も駆け足で回った。「ハイライト」という一室があり、村上隆や奈良美智なんてあったのね。あと、本館は日本人作品のみ収蔵しているのかと勝手に思っていたけれど、アンリ・ルソー(『第22回アンデバンダン展に参加するよう芸術家を導く自由の女神』)とかロベール・ドローネー(『リズム 螺旋』)とかもあるのね。イヴ・タンギー『聾者の耳』が少し気になりました。シュルレアリスムですね。

 

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『チュルリョーニス展 内なる星図』(国立西洋美術館/2026)

 20世紀初頭のリトアニアの画家、作曲家であるM・K・チュルリョーニスの絵画作品を取り上げた展覧会。東京・上野の国立西洋美術館で開催。

 チュルリョーニスという人、今回初めて知った。1875年、ロシア帝国支配下のリトアニアで生まれ、始め作曲家として身を立てた。その後、趣味で続けていた絵画でも名声を得た。しかし、35歳の若さで病死。画風は象徴主義と捉えられている。画家として活動したのは1905年から1911年のわずか6年間(現在公開中の映画『パリに咲くエトワール』(谷口悟朗)で洋画を志す主人公フジコが影響を受けた時代と重なる)。
 展示は3つの章で構成されている。
 第1章「自然のリズム」はチュルリョーニス初期の、主に自然を描いた作品群。第2章「交響する絵画」は彼の作曲家としての経験を基に、「ソナタ」形式で描いた作品を扱う。第3章「リトアニアに捧げるファンタジー」は画業の後期としてリトアニアの伝承などを基に、独自の画風を確立した作品が展示されている。
 始めの風景画――といっても写実的な作風ではまったくないのだが――はあまりぴんと来ず、全体としてこういう作風で終始していたらどうしようと思っていたところ、「ソナタ」形式の連作で少し印象が変わった。
 西洋絵画は時間の経過を一枚の絵の中で表すことが多いと思うけれど、チュルリョーニスは音楽家として時間経過そのものを長らく扱っていたためか、ストレートに複数枚の絵を並べて時間の経過を表すという手法を取った(すごく広くいえば「漫画」ということになるかもだが)。その描く対象というのが、空想的なモチーフで、テンペラでごく淡く描かれていることもあり、独特の印象を与える。
 その中の一つが以下の『第5ソナタ(海のソナタ):アレグロ』、『アンダンテ』、『フィナーレ』(1908)の三連作である。

 最後のリトアニアの伝承や風俗を基に描いた作品群は、こう、なんというか、中二心をくすぐる要素があり、結構好きだ。正直、この人、絵がうまいのかよく分からないのだが(経歴からするとごりっごりの絵画アカデミー教育を受けたタイプでもないみたいだし)、味わいがある。
 このパートの作品はどれもよいと思うが、いくつか取り上げると――
『リトアニアの墓地』(1909)。星が光る夜に、リトアニア独自の様式の十字架が、シルエットとして立っている。どこか幻想的な佇まいである。

『プレリュード(騎士のプレリュード)』(1909)。谷間に広がるファンタジー風味の街の上空を、透明な騎馬が駆け回る。意味は分からないが印象に残る。

『おとぎ話III』(1907)。これは「おとぎ話」という三連作のエピローグにあたる作品だが、高台で神官のような姿の女性が朝日を後光にこちらへと歩み寄ってくる。これまた意味は分からないが、わくわくがある。

 全体として、リトアニアに行かないと見られないような独特の絵画群が、しっかりした構成で展示されていて、よい展覧会だと思った。

 本展の話から少し逸れるけれども、平日朝に会場の国立西洋美術館を訪れたところ、チケット売り場に行列ができており10分強並んだ。オンラインチケットを買っておけよという話なのだが、平日の西洋美術館でそんな並んだことなかったからさ……今度からはオンラインチケット買うようにします。
 また、本展は同時開催の『北斎 富岳三十六景 井内コレクションより』とチケットが共通である。チュルリョーニス展だけだとボリュームが少ないので北斎と抱き合わせなのかなと少し心配していたが、まあ、大ボリュームというわけではないけれども、個人的には十分満足のいく内容だった。なんなら、北斎の富嶽三十六景なんて素晴らしいのは分かっているわけで、北斎展とチュルリョーニス展のチケットを分けて販売してもらっても……とも思ったが(例えばチュルリョーニス1,200円、北斎1,200円、共通チケットが割引で2,200円とか)、まあ、いろいろあるのでしょう。北斎展もちょっと覗きましたが、案の定混雑しており、あまりおちついて鑑賞できる雰囲気でもなく。

 常設展も回ってみた。最後に訪れたのは、たぶん、2020年の『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』のついでだと思う。
 いくつか収蔵品が増えており、ルカ・ジョルダーノなんて買ってたのね。偉い。寄託品としてクリムトの風景画も。
 あと、以前は気に留めてなかったのだけど、イタリア象徴主義の画家セガンティーニなんてあったんですね。セガンティーニ、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿で見て以来、結構気になっており。来歴を見るに、国立西洋美術館の母体となった松方コレクションの一部だったが、松方幸次郎が金の工面のために手放していたんだとか。それからなんと80年ののち、松方コレクションを引き継いだ西洋美術館が買い戻した。*1 1918年の時点でセガンティーニを目を付けていた松方もさすがだし、取り戻そうと努力した西洋美術館も偉い。

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*1:羊の剪毛|ジョヴァンニ・セガンティーニ |所蔵作品検索|国立西洋美術館
https://collection.nmwa.go.jp/P.2007-0002.html
Milan; purchased possibly in Milan by Kojiro Matsukata, Kobe, 1918; pledged by Matsukata to save his business, Kawasaki Dockyard Co., Ltd., Kobe and then seized by Fujimoto Bill Broker Bank, Osaka, 1927; 1st Matsukata sale, Tokyo, 13–30 March 1928, addendum; 5th Matsukata sale, Tokyo, 6–20 February 1934, lot 56, repr.; purchased at that sale by a previous owner, Hyōgo (Japan), 1934–2008; purchased by NMWA, 2008.

『HELP/復讐島』(サム・ライミ/2026)

 自分をコケにする上司と共に無人島へ不時着した女性。サバイバル術の達人である女性の復讐劇が始まる……!?
 出演はレイチェル・マクアダムスディラン・オブライエン。監督は『死霊のはらわた』(1981)、「スパイダーマン」シリーズで知られるサム・ライミ

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 サム・ライミの低予算映画ということで面白さは確約されているようなものだが、実際、サム・ライミの低予算映画として文句なしに面白い(いや、文句がなくもないが)。

 ※以下、ネタバレしています。

 コンサルティング会社へ勤務するリンダは、死んだ前の社長から昇格を約束されていたが、その息子である新任社長ブラッドリーは旧知のドノヴァンの方を重用する。
 ある日、企業合併案件のため、ブラッドリーらと共にリンダはビジネスジェットでタイへ向かう。その途中嵐に遭い、飛行機は墜落。リンダとブラッドリーだけが無人島へ漂着する。
 リンダは持ち前のサバイバル技術で住居を作り、飲み水を溜め、火を起こす。墜落時に怪我をしたブラッドリーは、会社での上下関係が抜けず、リンダへ上から目線で指示しようとするが、飲み水を断たれるという懲罰を受け、リンダへ屈服する。
 一人で島を探検していた際、リンダは島の近辺をボートが往来していることに気づく。が、ブラッドリーを支配する関係が気に入っていたリンダは敢えて助けを求めずにいた。ブラッドリーはリンダの支配から逃れようと一人で生活を始めたり、いかだで島からの脱出を試みるが、どれも失敗に終わる。
 ある日、ブラッドリーの婚約者であるズーリが捜索のため島へやってくる。今の暮らしがなくなるのを恐れるリンダは、ズーリを事故死へ追い込む。そのことに気づいたブラッドリーはリンダへの復讐を誓う。ブラッドリーはリンダとの闘争の果てに、島が別荘地であることを知る。ブラッドリーは返り討ちに遭い、無事生還したリンダはサバイバーとして一躍メディアの脚光を浴びるのであった。

 まず、この映画は、飛行機が落ちてから本番なので、観客は早く飛行機が落ちてほしいわけだけれども、さすがサム・ライミ、飛行機が落ちるまでを大変手際よく、メリハリをつけて描いてくれる。
 人の手柄を横取りにする同僚(力作レポートに貼られた付箋紙は往々にしてなくなるものなんですが、やはり付箋紙を捨てことで手柄の横取りを端的に示すのがよい)、大学の部活友達を副社長に抜擢するというホモソーシャル丸出しな若社長(この社長、傲慢だけど宣伝文句にあるようなパワハラでは別にないんだよね)。リンダの「サバイバー」への応募ビデオを嘲笑うこれまたホモソーシャル丸出しな社長一行。はい、もうこいつらに同情の余地がないですね。
 一方、リンダはリンダで、仕事は有能なのだろうけれども、自己顕示欲強めかつ情緒不安定なやや扱いに困るタイプ、というのも味がある(自己啓発的なメッセージが多数貼られたデスクに、貧乏ゆすりしながら仕事する、という描写で端的に示すのがよい)。
 また、リンダが自宅で「サバイバー」に夢中になっているというワンクッションを挟んで、「サバイバー」応募ビデオで社長たちのカスさを描きつつ、リンダのサバイバル能力を示しているのが大変うまい。これにより無人島漂着からサバイバルシーンへの移行が非常にテンポよくなっている。
 同様に、いきなりラストシーンの話になってしまいますが、ラスト、リンダがブラッドリーの頭をかっ飛ばすところから直接ゴルフを楽しむ場面にカットをつなげるの、序盤、ブラッドリーが社長室でゴルフをしている場面があるので、唐突感がなく、これまたうまいのですね。
 リンダが猪を狩るところで、猪の血がぶしゃーっとリンダの顔面にかかるの、ちょっと笑ってしまった。が、その後もゲロを顔面にかけたりする場面が続き、ちょっとくどいのでないかと思った……
 あと、ラストの別荘の場面で、追い詰められたブラッドリーがリンダに改悛の弁を述べるのですが、ブラッドリーが反省しているわけないのは観客も分かっているのにちょっと長いなと思いました。
 まあ、文句はその二点くらいですかね(強いて言うと、あまりにも「サム・ライミの低予算映画」過ぎて意外性に欠ける嫌いがある、という気もしなくもないですが)。

 カス野郎を何度もぎゃふんと言わせるスカッと要素ありつつ、主人公も困ったちゃんなので別に教訓的な要素もなく、「あー、面白かった」で劇場をあとにできる、よい映画でした。

 

『Type Help』(William Rous/2025)

 インディーゲームクリエイターWilliam Rousによって開発されたテキストアドベンチャーゲーム。インディーゲームサイトitch.ioで公開されており、無料でプレイできる。

william-rous.itch.io

 非常にシンプルなゲームシステムがストーリーとよく噛み合っており、面白く遊んだ。プレイ時間は8時間くらいだろうか。フレッシュなショートゲームによくある通り、ゲームルールを解き明かしていくこと自体に面白さのあるゲームであるため、「これから遊ぶぞ」という方は是非ネタバレなしをお勧めしたい(以下、ストーリーに関わる部分はネタバレ表記します)。

 本作は画面上、常に表示されている入力ボックスへコマンドをキー入力(type)して進めていくゲームである。
 プレイヤーは、とある人物がマシンに残したという過去の事件に関するファイルを順番に読み解いていく。
 ファイルを開いて読むには、ファイル名を入力ボックスへタイプする。
 最初に分かっているのは4つのファイル名である。

『Type Help』より

 語り手となる人物が雨の夜、大きな屋敷を訪れる場面から調査記録は始まる。端々から、この調査記録は会話のやり取りを文字起こししたものと分かってくる。語り手の人物――John HobbesはRupert Galleyという人物から招待されてやってきたのだが、なぜか屋敷にいる人々はRupertなど聞いたこともないと言う。

『Type Help』より

 さて、最初の関門になるのが、4つ目のファイル名の一部が欠けており、このファイルを開くには正しいファイル名をプレイヤーが推測しなければいけない、ということだ。
 とはいえ、少なくないプレイヤーが、ファイル名は「時系列」+「場所(の頭2文字)」+「その場所にいる登場人物の番号」で構成されていることを推理できるだろう。
 果たして、ファイル名「04-ST-1-5-8」をタイプすることで4つ目のファイルを開くことができる。この新しい場面で、登場人物たちは変死体を発見する。
 ここでプレイヤーは一見やれることがなくなってしまう。冒頭の指示にあったファイルはすべて開いてしまった。しかし、プレイヤーは既にファイル名の法則を把握している。ここからがこのゲームの本番で、プレイヤーは前後の状況から、どの場所にどの人物がいたのかを推測し、未知のファイル名を突き止めていくことになる。そもそも屋敷にどのような場所があるかも分からず、登場人物もすべてが明らかになっているわけでないので、ファイル名のパターンは無限にありそうだ。分かりやすいヒントがあり連続的に開いていけるようなファイルもあれば、「この二人はこの時間どこかの部屋にいたはず」と総当たりしなければいけないケースもある。
 この組み合わせがやや複雑で、まだ時系列、居場所を特定できていない登場人物が誰なのか分からなくなってくるため、自分は途中からExcelで人物行動表を作って進行管理していくことにした。他のプレイ感想を見ても少なくないプレイヤーが似たようなスプレッドシートを作っていたようだ。この辺りの手作り感もならではと思う。それでもどうしても先へ進めない箇所がいくつかあり、攻略ページを見てしまったが。

 ※ネタバレしています。

 さて、物語が進むにつれ、登場人物たちは次々と怪死を遂げていく。推理小説における一種のクローズドサークルものともいえる(ストレートに『そして誰もいなくなった』である)。プレイヤーは、ファイル名を推定するいうゲームの法則を見つけるのに連続して、ゲーム内ストーリー上の死の法則を推理していくことになる。このなにが起こっているのか分からないところから謎解きのフェーズが変わっていく感覚は、ホラーミステリー小説『Another』(綾辻行人)に似ているところもある。
 そして、登場人物の番号は存命期間順であること、登場人物たちは死を迎えた人物に関する記憶を失うこと、がプレイヤーに分かってくる。ストーリ上の法則を把握することで、新しくファイル名が推定できるようになるという、ストーリーとシステムの一体性が魅力的だ(始めに書斎で死んでいた人物は、登場人物たちの言うように見知らぬ男、ではなかったのだ)。

 最後に、このゲームのタイトルが『ギャレー家事件』などのストーリーを示すものでなく、あくまでプレイヤーが始めに行う操作”Type Help”であるというのが、本作がミステリーである前にまずゲームであることを意識させて、非常によい。

『Ghost of Yōtei』(Sucker Punch Productions/2025)

 1603年の蝦夷地を舞台に、「羊蹄六人衆」と呼ばれる武士集団に両親を殺された女性、篤(あつ)が、復讐の旅へ出る。広大な北海道の大地を舞台としたオープンワールドアクションRPG。2020年に発売された『Ghost of Tsushima』とおなじく、アメリカのゲーム制作会社Sucker Punch Productionsが開発を手掛ける。

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 先行するオープンワールド作品をよく研究して丁寧に制作されたゲーム、という印象。始めにゲームシステムについて、次のストーリー、演出について書きたい。ハードはPS5でプレイ。前作は遊んでいない。

ゲームシステム

  • クエストの密度がよく練られている。メインクエスト(このゲームでは「篤之道」と名付けられている)を進めようとしていると道中で困っている村人がいてサブクエスト(同「浮世草」)を始めてしまったり、黄金の鳥に導かれて温泉を見つけたり、うろうろしている狐のあとを追いかけて護符(強化アクセサリー)を手に入れたりする。メインクエストとサブクエストを一体的に進めさせるスタイルは、ゲーム内世界の広がりを感じさせてよい。
  • ビジュアルは北海道の大自然やそこで生きる人々の生活を大変美しく描いているだけでなく、クエストの開始終了時などで一枚絵のように非常に決まった構図の登場することがある。臆面もなくかっこよくするのがよい。また、エリアごとにテーマカラーが決まっているのも最近のゲームらしい(石狩ヶ原は紅葉の赤、天塩ヶ丘は雪原の白、等)。

    『Ghost of Yōtei』より
  • オープンワールドらしく、新しいエリアへ到達すると高台から最初に向かうべき宿場町、そのエリアのボスの拠点、その他重要スポットを一望できる。高台から新しい探索スポットを探すのは他のオープンワールドものとおなじだが、視点が探索スポットに近づくとコントローラーがブルブルっと震えてデーンとスポットが見つかる演出、便利+触覚的な気持ちよさがあってよい。

    『Ghost of Yōtei』より
  • 北海道を舞台にしているとはいえ、実際には羊蹄平、十勝ヶ峰、石狩ヶ原、天塩ヶ丘、渡島ヶ浦の5つのエリアのみで構成されている。道東へ行くことはできない。それぞれのエリアごとにボス(羊蹄六人衆)がおり、ボスへ近づくために協力者を得て、武器を習得し、敵の拠点を少しずつ攻略していく、という構成になっている。各エリアでやることは似ているので、天塩ヶ丘辺りからやや先の見える感がある。

    『Ghost of Yōtei』より
  • バトルは「待ち」が基本。L1で防御している限りダメージを受けないが、逆に無理に攻めると返り討ちに遭う。武器種が5つあり(刀、二刀、槍、大太刀、鎖鎌)、武器種ごとに相性の良し悪しが設定されている(二刀は槍に強いなど)。適切な武器種を選びつつ、特に序盤は防御に徹し相手が隙を見せたところでカウンターを食らわせるというのが基本戦術になる。武士の戦い方をなるべくゲームシステムへ落とし込もうとして、こうなったのかと思った。ちなみに、武器アイテムはゲーム中で多数手に入るのだが、強い弱いの差はないのでビジュアル的に好きなものを装備することになる。
  • 武器種ごとに複数の必殺技が用意されている。正直、中年にはコマンド入力が覚えられない。槍の△長押し+△と、二刀の△長押し+△5連打とかいつも忘れる。ここにL2+十字キーで遠距離武器の選択→R2で発射まで入ってくるとしばしばこんがらがる。いつでも操作方法を開くことができるのでそれを見たらよいのだが。

    『Ghost of Yōtei』より
  • そんな中年でも難易度「易しい」を選択すれば、まあ、それほど行き詰まらずに全クリまで到達できる。
  • ミニゲームが多い。リズムゲーのような竹筒切り、タッチパッドを使う墨絵描き、カジノ的要素の銭弾き、パズルなからくり箱など。ちなみに、墨絵描きをやって、PS5コントローラーの中央にある大きいボタンがタッチパッドであることを初めて知った……

    『Ghost of Yōtei』より
  • 焚火の火をおこす、魚を炙る際にひっくり返す、刀鍛冶の槌を振るう、隙間の岩を取り除く、など妙にインタラクティブ操作を求められる。ちなみに、火おこしをやって、PS5コントローラーのR2ボタンがアナログ入力であることを初めて知った……

    『Ghost of Yōtei』より
  • フィールド上に落ちているアイテムはただの素材集めだけでなく、行くべき道を指し示す役割も果たしている(アイテムが光るのも分かりやすい)。フィールドが美麗になるほど、どこへ進むか分かりづらくなる一方、あからさまにこっちですよと言いたくない時の、よい解決方法だと思った。

    『Ghost of Yōtei』より

ストーリー・演出

ネタバレしています。

  • 主人公篤の日本語吹替を担当しているのはファイルーズあい。復讐に燃えながらも困っている人を見捨てずにいられないというキャラクターに文句なしのはまり役だろう。

    『Ghost of Yōtei』より
  • 敵役である羊蹄六人衆の成員は蛇、鬼、狐、蜘蛛、龍と来て、ボスは……斎藤! なぜこいつだけ二つ名でなく普通の苗字? となるが、ファイルーズあい氏もおなじ感想だったようでちょっと嬉しかった。*1

    『Ghost of Yōtei』より
  • 羊蹄六人衆は、武田家の遺臣で主家滅亡後蝦夷地に活路を見出した、という設定。海外製ゲームと思えないほど違和感のないバックボーンである。斎藤は居場所のなくなった武士たちを糾合するリーダーシップと、裏切り者を容赦なく処刑する残虐性、さらに不甲斐ない息子たちへの愛憎をそれぞれ持ち合わせており、地に足の着いたラスボスだと思う。
  • アイヌ人がしっかり登場する。詳しくなくて恐縮だが独特の化粧とか印象的。

    『Ghost of Yōtei』より
  • また、当時の蝦夷地に日本各地から人々が流れ着いたのだろうということを示すため、関西弁や九州弁が飛び交うのも素晴らしい。一方、わずかだが、個別セリフと汎用セリフをつなげているせいでおなじ人物が喋っているのに途中で声優が変わっているということがあった。

    『Ghost of Yōtei』より
  • 鬼編、生き別れになっていた弟、十兵衛が生きていると分かったり、一度鬼の城へ潜入するも敗退しむしろ味方の拠点が襲撃される、というなかなかツイストの効いたな展開。結構長い。
  • 狐編、狐率いる九尾組は暗号を使うという設定で、ゼルダみたいな謎解きが出てくる。解くとちゃんと謎解き音がする。

『Ghost of Yōtei』より
  • 終盤、お父とお母の惨殺を蜘蛛が劇にしていると知り、篤が激怒して「怨霊の叫び」(という無敵モード)のパート2を覚えるの、熱い。でも、蜘蛛を許しちゃうんだよな。あと、決戦前夜にみんなで一緒にごはんを食べて十兵衛が「こんな日がまた来るといいな」って、お前死ぬんかと思った(死んだ)。

    『Ghost of Yōtei』より

 総じて、エポックメイキングというわけではないと思うが、丁寧かつ海外から見た近世日本をオリエンタル性がありつつも嫌な感じをなく描いた、間口の広い作品だと思う。面白かった。

 

*1:『Ghost of Yōtei』ファイルーズあい×SIEローカライズチーム特別対談──国内外で評価される日本語版のこだわりとは?  PlayStation.Blog 日本語
https://blog.ja.playstation.com/2025/12/23/20251223-goy/
ファイルーズ:今も仇の名前リストを着けていますが、衣装さんと合わせているときに上から読み上げていって「かっこいい!」と言いつつ、最後の斎藤で笑っちゃって。でも、そこがいいんですよ。「斎藤」という親しみのある名前の人が、あんなに恐ろしいことを平気な顔をしてやっていて、しかもカリスマ性があるから支持されているし、絶対に敵に回したくない相手ですよね。

『シャドウズ・エッジ』(ラリー・ヤン/2025)

 巨額の金融資産強奪を企てる犯罪者グループと、彼らを捕らえようと奮闘する警察の戦いを描く、中国発の犯罪アクション映画。2007年の香港映画『天使の眼、野獣の街』のリメイク作品。
 主演はアクション映画のスーパースター、ジャッキー・チェン。他、張子楓、梁家輝、此沙、SEVENTEENのジュンらが出演。監督はラリー・ヤン。

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 御年71歳のジャッキー・チェンががんばっているだけで見せ場になるところを、ジャッキーの魅力だけに頼らないぞという作り手の気概も伝わり、非常に面白かった。もちろんジャッキーの見せ場もあります。リメイク元は観ていません。

 ※ネタバレしています。

 マカオ。企業のオフィスへ強盗団が押し入り、暗号通貨の情報を奪う。警察は監視カメラとAIを駆使して犯人たちの逃走車を追い詰めるが、それは犯人が警察の監視システムをハッキングして見せていた偽の映像だった。現場の伍隊長らはマカオタワーで強盗団を発見するも、彼らはタワーのバンジージャンプ台からウイングスーツで飛び立ち、カジノリゾートであるウィンマカオへ逃げ込む。さらに犯人たちは変装や監視カメラハッキングを駆使して逃げおおせた。
 監視システムだけで彼らを逮捕できないと悟った警察は、引退したベテラン刑事黄徳忠を呼び戻す。黄はかつて「影」と呼ばれた伝説の殺し屋が犯行に関与していると推測し、影を見つけ出すため、かつて存在した追跡班を復活させる。集められた若手刑事たちの中には何秋果(果果)もいた。果果の父も刑事で黄の相棒だったが、捜査中に殉職したという経緯があり、果果は黄と距離を置く。黄は追跡班を鍛え上げ、市街での潜伏捜査を始める。
 一方、犯人グループのリーダーである影=傳隆生は、計画外の行動を取ったとして、メンバーである双子の兄弟熙旺と熙蒙、さらに現場担当の胡楓、小辛、阿威、仔仔を叱責していた。熙旺らは生まれ育った孤児院を援助した傳を父のように慕っていた。マカオを脱出するための資金稼ぎとして、彼らは総仕上げをしようとしていた。
 追跡捜査中、黄は市場で影らしき人物を見つける。黄は影に顔が知られていない果果を派遣する。果果は危険を冒してマンションまで追跡し、影の自室を突き止める。黄は民間人の振りをして直接影へ接触、夕食へ招待し、影の部屋を捜索する。
 犯人グループらは傭兵集団を使って警察署を襲撃する。警察は辛くも撃退するが、熙蒙らは警察官の振りをして署内金庫へ保管していた暗号通貨の鍵を盗み出していた。一方、双子の兄熙旺は傳を殺害しようとしていたが、傳はナイフ1本ですべてを返り討ちにする。双子の弟熙蒙は逃亡のさなか、後を追ってきた傳に刺殺される。
 黄は、傳が暗号通貨の持ち主に接触すると推理し、コロアネのカフェで待ち合わせしているところを突き止める。最後に傳を追い詰めて確保したのは果果だった――

 美点のたくさんある映画だけれども、まず、犯人グループの若者たちが、臆面もなく、韓流アイドルのように分かりやすいイケメンで、よい(実際約1名は韓流アイドルだし)。これだけで冒頭の逃亡劇から強力に画面がもつ。ヒロイン果果役の張子楓も分かりやすくアイドル女優的な佇まいでこれまたよい。
 それからジャッキー・チェン。スタントなしのアクションシーンがあり、それだけで嬉しい。「こんな事態にはあいつを呼ぶしかない」で登場するのが往年のスーパースターというのは『トップガン マーヴェリック』(2022)とかとおなじだけど、「あんなじいさん本当に役に立つのか?」と若造どもが試そうとするところを割とさらっと終わらせてすぐ訓練シーンに入るのは、それはもう『マーヴェリック』で観たでしょ、ということかもしれない。
 脚本もよい。特によいなと思った場面が二つあって、一つは果果が追跡のため影と一緒にエレベーターへ乗り込むところ。黄刑事の少し前のセリフ、「影はおなじ人物が近寄ったら2回目で疑い、3回目で確信して行動に移す(=殺害する)」が効いており、果果の服の柄が市場ですれ違った女とおなじ……と影が思い返すと、観客は「わー、果果気をつけて!」とどきどきするのだ。
 もう一つは、恐らく皆さんおなじだと思いますが、黄刑事、果果が親子の振りをして影と食事する場面。影は二人が偽の親子でないかと疑っており、黄が席を外したタイミングで果果に幼少期の思い出を訊ねる。果果は素直に答えてしまう。戻ってきた黄刑事に影はそのことを質問する。しかし、黄は当たり前のように答える。驚く果果。黄刑事は影に説明する体で、幼少期から果果を見守っていたことを告白する。これ、騙し合い劇に重ね合わせて関係性を語るすごくよくできた脚本ですよね。唸りました。
 本作はマカオ観光映画としてもよくできていて、マカオタワーからウィン、最後はコロアネとなかなか渋いところで締める。一方、指摘する人がいる通り本作は香港映画でなく中国映画のためか、マカオが舞台であるにも関わらず登場人物たちはほぼ全員北京語(だと思う)で会話をしている。市場の人と話すときは広東語だったように思う。また、警察が監視カメラシステムを駆使することに一点の憂いもない感じも、中国っぽい。

 一般的に大きな話題になっている映画でないと思うが、盛りだくさんのエンタテイメント要素をバランスよく配置しており、面白かった!

『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』(ジェームズ・キャメロン/2025)

 2009年から始まるSF映画アバター』シリーズの第3弾。惑星パンドラ、海の民の元で暮らすジェイク一家に、地球人クオリッチ大佐が火の民と手を組み再び襲い掛かってくる。
 出演はサム・ワーシントンゾーイ・サルダナシガニー・ウィーバースティーヴン・ラングら。監督は『ターミネーター』(1984)、『タイタニック』(1997)で知られ、本シリーズを通して監督、脚本、制作を務めているジェームズ・キャメロン

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 映像技術の展示会的な気持ちで観に行き、実際、映像美は群を抜いていると思う。それはそれとしてなぜ上映時間がこんなに長いのか……現時点で最も視聴環境がよいと言われるドルビーシネマ3Dで鑑賞。

 ※ネタバレしています。

 第1作で地球人海兵隊員から惑星パンドラの住民ナヴィへと転生したジェイク。ナヴィの妻ネイティリ、長女キリ、次男ロアク、次女トゥク、そして地球人の少年スパイダーと一緒に、海の民の元で暮らしていた。
 スパイダーは地球人であるためパンドラで活動するのに防護マスクが必要だった。そのバッテリーが心もとないことからジェイクはスパイダーを地球人の元へ帰す決意をする。ジェイク一家は移動手段として空の商船団を選ぶも、その道中で船は山賊である火の民アッシュに襲撃され、散り散りになる。逃げ回るさなか、スパイダーのマスクのバッテリーが切れてしまう。長女キリは不思議な力によってスパイダーをマスクなしでも活動できる身体へと作り替える。しかし、子供たちは火の民アッシュに捕らえられる。ジェイク捕縛の目的でその場へ現れた地球人クオリッチ大佐は、実の息子スパイダーを救出するため、一時的にジェイクと手を組む。アッシュのリーダー・ヴァランはジェイクたちが持っていた自動小銃に強い興味を示す。
 子供たちの救出後、クオリッチ大佐は改めてジェイク捕縛のため、ヴァランと手を組むことにし、火の民へ火器を渡す。そして、目論み通りスパイダーとジェイクを捕らえた。地球人科学者たちは惑星パンドラでマスクなしに活動できるスパイダーの身体を分析しようとする。一方、ジェイクは反乱罪で処刑されようとしていた。その時、パンドラの鯨トゥルクンの狩りに反対する科学者が重機を操作してジェイクを救出する。ジェイクはスパイダーと共に街を離脱するのだった。
 ジェイクたちは地球人によるトゥルクン狩りを防ごうと考える。ジェイクは伝説の戦士トゥルーク・マクトとしてパンドラの全部族へ結集を呼び掛ける。トゥルクン狩りの日、トゥルクンたちは地球人に反撃し、ジェイクたちも参戦するが形勢はくつがえらない。しかし、キリが惑星パンドラの集合意志エイワと交信することで、海の生物たちもジェイクへ加勢し、地球人たちを追い詰める。クオリッチ大佐とヴァランを撃退したジェイクたちは、再び平和な暮らしを得るのだった―― 

 前作の時も書いたが、まず、20世紀スタジオのロゴが3Dで驚く(何回驚いてるんだ)。そして映像は相変わらず美麗というか、どうやって製作しているんだろうと思う。例えば、人間とナヴィが同時に川へ飛び込むのを水面から撮っている場面とか、人間と水しぶきが自然なので水場を作って撮ったのか。しかし、メイキングを見る限り人間以外はすべてCGのようだ。ちなみに、メイキングで俳優陣が「なにもないところ(グリーンバック)で情景を想像しながら演じるので舞台演劇みたい」と話していて、なるほどと思った。それにしても、本作、前作からの間隔でいうと三年程度で制作されたのだろうけれども、単純に時間をかけてもスタッフを投入しても作り上げられると思えず、方法論を確立してめちゃくちゃ計画的に分業したのかぐらいしか想像がつかない。
 映像展示会と作り手も思っているのか、「ストーリー進行に寄与しないけど映像的に素敵な場面」が随所に織り込まれ、それが上映時間を長くしている一因だと思う。例えば、冒頭の子供たちがトゥルクンと一緒に海を泳ぐ場面とか。まあ、ストーリー進行に寄与しないカットがその映画の味、というところもあるので、悪いばかりでもないんですけどね。
 前作で、子供たちが独断行動して敵に捕まるという場面が多過ぎて苛立ったけれども、制作陣も反省したのか、本作でそういう場面は一か所しかなかったように思う。それはそれとして、ジェイクもクオリッチ大佐も独断専行が過ぎる。地球人の将軍がクオリッチ大佐に謹慎を命じていたけど、自分もクオリッチが動き回らない方がかえって地球人たちの目的が達成できるのでないかと思った。
 あと、今さらかもだけど、ナヴィたち、特に本作の火の民の描き方、例えば、戦勝祝いで焚火を囲んで踊り狂っている場面とか、絵に描いたような「未開の蛮族」感というか、植民地主義が過ぎる。ナヴィたちのスピリチュアルなところは崇高なものとして描いているけど、結局無意識に見下してるのかなと思ってしまう。
 ストーリーは平凡だが映像表現は素晴らしく、できれば次作も観ようと思った。海、火と来たから次は土(砂漠)とかかな。

 

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