ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『鵼の碑』(京極夏彦/2023)

 人気推理小説百鬼夜行京極堂)シリーズ」の17年ぶりの最新作。昭和20年代の関東地方を舞台に、小説家の関口巽、探偵の榎木津礼二郎、刑事の木場修太郎、そして古本屋の京極堂こと中禅寺秋彦らおなじみの面々が、妖怪「鵼(ぬえ)」にまつわる怪事件へ巻き込まれる。

 京極夏彦について触れるのは最初で最後になるかもしれないので、自分にとっての「百鬼夜行シリーズ」の位置づけから書こうかと思います。
 自分にとって(そして、同年代の少なからぬ推理小説ファンにとって)、『姑獲鳥の夏』(1994)からで始まる「百鬼夜行シリーズ」は非常に思い出深く、鮮烈な印象をもったシリーズでした。妖怪で統一されたタイトルとジャケ写、衒学趣味とその結果として分厚い書籍、個性的なキャラクターたち、そしてなんといっても、絶対に現実と思えないような出来事が綺麗に解き明かされる解決編。当時は画期的にスタイリッシュでした(ノベルス版のカバー袖にあしらわれた意味ありげな一文と写真もビンビン来てました、当時は)。
 その頃、推理小説界(の一部)では島田荘司という作家が、「本格ミステリー宣言」というのを唱えていました。幻想的な出来事や謎を提示したうえで、現実的なロジックで解体するような推理小説を「本格ミステリー」銘打ち、社会派推理小説が主流だった推理小説界にとってそういった作品はブルーオーシャンだし、是非書かれるべきだとしていました。島田自身も宣言に則り、『奇想、天を動かす』(1989)や『暗闇坂の人喰いの木』(1990)といった実作をものにしました。この「本格ミステリー」の作例として恐らく唯一島田荘司本人を超えたのが京極夏彦であり、第二作『魍魎の匣』(1995)でした。『魍魎の匣』をオールタイムベストに挙げる推理小説ファンも少なくないと思います。第五作『絡新婦の理』(1996)も、概念的でありながら緻密な犯罪計画が、恐らく後続作品へ多大な影響を与えました……まあ、この辺は自分のミステリ史観なので、話半分で聞いておいてください。
 一方、その後、京極夏彦はどちらかといえばスピンオフや時代小説、ホラー小説へ軸足を移し、「百鬼夜行シリーズ」本編は2006年の『邪魅の雫』からぷっつりと途切れていました。自分も京極の本はほとんど手に取ることがなくなっていました。『邪魅の雫』カバー袖で予告だけされていた『鵼の碑』はもう出版されないのだろうなと勝手に思っていましたが、2023年7月に突然出版が告知され、非常にびっくりしました。90年代推理小説でいうと、綾辻行人の「館シリーズ」最終巻『双子館の殺人』も執筆が始まっているし、昔好きだったシリーズの続編が書かれるのは素直に嬉しいです。あとは法月綸太郎の『三の悲劇』が出版されれば……(それはない)

 さて、ようやく本作『鵼の碑』の話です。

 ※ネタバレしています。

 全体として、語り手が異なる蛇、虎、狸、猿、鵺と題された五つのパートと、京極堂による憑き物落としが行われる最終章「鵼」で構成されています。
「蛇」は、若き戯曲家の久住が、日光のホテルでメイドから過去に人を殺したことがあると告白され、煩悶します。久住は偶然知り合った小説家関口に相談をします。
「虎」は、薬剤師御厨が失踪した店主の行方を探すため、薔薇十字探偵社を訪れます。主である榎木津はおらず、助手の益田が捜査を開始し、店主が消息を絶った日光へ向かいます。
「貍」は、刑事木場が先輩の退職祝いの場で戦前に起きた死体消失事件を知り、謎を追うため、日光を訪れます。
「猨」は、日光輪王寺の僧築山が、「京極堂」こと中禅寺秋彦と蔵書の整理をする傍ら、ある男の妄執に引き込まれていきます。
「鵺」は、医師緑川が、亡くなった大叔父が日光で開いていた診療所を訪ね、遺品を整理する過程で、大叔父が軍部に関わる謎めいた活動をしていたことに気づきます。

 昭和29年を舞台にしつつも、放射能に関する陰謀論がメインストーリーであることから、東日本大震災を踏まえていることは明らかで、陰謀論と「鵼」という妖怪を重ね合わせる手つきはさすがです。2007年の時点でタイトルを予告していたころから作品の方向性は既にある程度定まっていたと思われますが、どうやって東日本大震災的なところに合流したのか不思議です。*1
 一つ一つのエピソードは大きな謎があるわけでないのに、別々の人物視点での出来事がわずかに重なり合わないことがあると、神の視点である読者にとっては「謎」になるという構えも、ダイレクトに発明ではないと思いますが、意識的に使っているのもなかなか。

 一方、ネガティブな評価として、読み始めは、「あれ、こんなに事件が起きないまま話が進むんだっけ……?」と困惑していました。推理小説的イベントがなにも起こらないまま視点人物だけが次々と変わっていくのは、ちょっと辛いところがありました。ようやく木場のパートで「警察が現場検証しているさなかに死体が持ち去られたが、その事件を警察は隠蔽した」という謎が登場し、ページをめくる気が起きてきました。確かに「百鬼夜行シリーズ」は登場人物たちが雑談をしているようなところから徐々に複雑な事件に巻き込まれていくという筋立てが少なくありませんが、とはいえだいたい第一章でなにかしら事件が起きていたような(『姑獲鳥の夏』とかも別に第一章で事件が起きてないじゃんと言われればそうなんですが)。
 また、言ってもせんなきことではありますが、このクラスの出版社のメジャータイトルしては誤字が多かったのも……全編三人称で描かれますが、久住パートは「私は」と書いてある箇所が複数ありました。草稿段階では久住パートだけ一人称だったのでしょうか。過去作で人称を使った仕掛けもあったのですが、これは明らかに置換漏れだなと思いました(自分はKindle版で読みました)。

 いろいろ言ってますが、シリーズの予告されていた新作が読めたという点では普通に嬉しかったです。

*1:と思っていたら、インタビューによると何度か書き直しているそう。
「順調にいけば『邪魅』から3年か4年で出せる進行だったんです。それが過労で倒れたり賞をいただいたりして少しズレて、東日本大震災でさらにズレちゃった。そしたら『水木しげる漫画大全集』の監修というとんでもない大仕事を引き受けることになり、それが丸々6年。日本推理作家協会代表理事の任期が4年。合わせて17年ですね。(中略)過去に何度か書いてるんですが、全部捨てて。昨年から新規で書き出したものの、本腰を入れたのは代表理事を退任して、諸々の引き継ぎを終えた5月以降です。結局トータルで3カ月くらい。」
京極夏彦特集】作家デビュー30周年記念! これまでと今、そして「百鬼夜行」シリーズ17年ぶりの新作長編について語る<ロングインタビュー> | ダ・ヴィンチWeb
https://ddnavi.com/interview/1175766/a/