ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『知能犯の時空トリック』(紫金陳/2012)

 中国沿岸部の某市。恩義ある人物のため、物理教師が悪徳公務員たちを次々と死に追いやる。市公安局のエース捜査官が犯人探しの陣頭指揮を取るが、事件の裏には公務員たちによる数々の不正が潜んでいた――
 紫金陳は中国の推理作家。2007年にデビュー。2019年に『知能犯之罠』が著者初の邦訳として出版された。本作『知能犯の時空トリック』は、『知能犯之罠』とおなじく市公安局副局長高棟(ガオ・ドン)が活躍(?)する「謀殺官員(官僚謀殺)」シリーズの一作。中国では、本作(原題は『謀殺官員3 物理教師的時空詭計』)の方が先に出版されたようだ。

 葉援朝(イエ・ユエンチャオ)は派出所の副所長を務める実直な警察官だったが、娘を県役人の息子に轢き殺され、かつそれが県の幹部たちによって揉み消されたことに怒りを覚え、隠蔽した役人の一人を殺害する。それを知った中学校の物理教師顧遠(グー・ユエン)は恩義のある葉を守るため、自分で殺人を引き継ぐこととする。顧遠の犯罪は、事故死や自殺に見せかける巧妙なものだった。
 一方、市公安局から派遣されてきたエリート警察官僚高棟(ガオ・ドン)は、持ち前の推理能力と、市の幹部である義父の権力を使い、捜査部隊を指揮するも、顧遠のトリックに翻弄される。

 本作の面白いところは二点あると考える。
 一点目は、高棟の捜査パートと、顧遠の謀殺パートの相互作用だ。
 本作は、「悪徳公務員たちが権勢を振るい、身内の犯罪すら隠蔽できる地方都市」という、森村誠一推理小説のような舞台設定であるのだが、基本的な構成は、「特定人物の殺害を試みる犯罪エキスパートの準備パート」と「犯人が誰か? 殺害方法はなんなのか? を捜査する警察パート」が交互に描かれるという、言ってみれば『ジャッカルの日』(フレデリック・フォーサイス/1971)にかなり近いタイプの小説だと考える。
 そして、『ジャッカルの日』スタイルの作品は、追う者と追われる者が知らぬ内に邂逅している、という場面が妙味だと思うが、連続殺人を媒介にして顧遠と高棟が実は影響を与え合っていた、というくだりがやはり面白い。
 顧遠は殺人を重ねながらも、生徒である陳翔(チェン・シアン)が補導されたことに心を痛める。陳翔の母は女手一つで息子を養育するため塩水鶏の屋台を引いていたが、警察に目を付けられ屋台を没収された。陳翔は憤り警察署へ殴り込んだ末、補導されてしまった。校長の蒋亮(ジアン・リアン)はある思惑から陳翔の退学を強く主張する。顧遠は陳翔の退学回避のため考えを巡らし、記者の振りをして警察へ電話をする。一方、高棟は部下から中学生(陳翔)の補導についてマスコミから取材があったことの相談を受ける。高棟は殺人事件の調査で難航しているさなかでマスコミに探りを入れられるのを嫌がり、生徒の解放を指示する。

 高棟のあの「解放しろ」の一言がなければ、彼の人生はことごとく書き換えられてしまっただろう。物理教師がその前に重罪を犯していなければ、高棟も細かいことまで気を留めず、彼の将来はまたもや覆されただろう。
 運命とはかくも奇妙なものか。

 二点目は、前作『知能犯之罠』でもあった、中国地方公務員たちの思考回路描写。
 作中、彼らは息を吸うように汚職をする。

「王宝国の経済状況はどうだった?」
「悪くはなかったですね。人付き合いや仕事での臨時収入もありましたし」
 江偉の言う臨時収入が給料以外を指しているのは明らかだ。しかしそのレベルまで上り詰めた幹部にとって、そんなことは何の問題でもない。

 そんな中、シリーズ探偵である高棟は独特のキャラクターだ。
 他のすべての警官が見逃した顧遠の完全犯罪の残り香を、高棟だけがその注意深い観察能力と推理能力で見破る。
 しかし、高棟もまた中国地方公務員であるため、他の役人の汚職に関して自分に害が及ばない範囲ではまったく寛容だし、事件解決には全力を尽くすがそれが難しいと悟ると一転保身に走り出す。

 一般人からすれば、高棟はもうかなり上にいる官僚だが、それでもまだ昇進するつもりだ。その金儲けではなく、全て権力とメンツのためだ。
 だがその道には政敵がたむろしている。高棟が好調なときはみな彼に追随するが、それは彼が実権を握っているという理由以上に、省や市に公認されている最もポテンシャルを持つ若い官僚だと全員が一目置いているからだ。風俗嬢が若さを武器にして稼ぐように、官僚への道はなおさらそうなのである。まだ四十歳に満たない彼はまさに脂がのっている時期にあり、政治上の業績にいくらか添え書きするだけでさらなる発展が見込める。

 推理小説で悪徳警官のキャラクターも少なくないが、高棟は、例えば、『L.A.コンフィデンシャル』(ジェイムズ・エルロイ/1990)に登場するダドリー・スミスのように悪徳こそが正しいと確信し悪徳を楽しんでいるかのようなタイプではなく、顧遠との対比を踏まえると、あくまで『容疑者Xの献身』(東野圭吾/2005)の湯川学の役回りなのである。それがこの「官僚謀殺シリーズ」の強力にユニークな点だと考える。

容疑者Xの献身』ついでに最後にもう一点。
 本作の「時空トリック」について、恐らく日本の推理小説ファンは若干面食らうのでないか。紫金陳が「時空トリック」を用いた背景として、いわゆる「新本格ミステリ」を経験しなかったからでないかと個人的に想像する(おなじ中国系の推理作家でも、新本格ミステリを受容している陳浩基を補助線とすると、理解しやすい)。『容疑者Xの献身』に触発されて推理作家になったという紫金陳がもつ独特のアンバランスさも、ある意味魅力の一つでなかろうか

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