ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『龍神池の小さな死体』(梶龍雄/1979)

 工学部教授の仲城智一は死ぬ間際の母親から「弟・秀二は殺された」と告げられる。戦時中、小学生だった秀二が死んだのは疎開先である千葉の山村だった。調査に訪れた智一は「龍神池」にまつわる伝説を聞かされる――
 梶龍雄は日本の小説家。1977年に『透明な季節』で江戸川乱歩賞を受賞し、推理作家としてデビュー。1990年に病死。多くの作品が長らく絶版で、『本格ミステリ・フラッシュバック』(2008)のようなブックガイド等で再評価の機運が高まっていたところ、徳間書店より本作が復刊された。

 智一は母の遺言を確かめるため、仕事であるコンクリートの実験を中断し、弟秀二の疎開時代の関係者を訪ね歩く。秀二は土地の名士妙見家へ「お呼ばれ」へ行った際に裏庭の池で溺死したとされるが、母が亡骸を引き取りに行った時には既に荼毘に付されていたという。智一は弟の死に不審な点があると感じる。
 千葉の山村、山蔵を訪れた智一は当時の関係者を探すも、妙見家は既に没落離散しており、秀二の遺体を発見したという「吉爺」もなにも語らなかった。知り合った医師の家に滞在する智一はやがてなにものかに頭を殴られ、負傷する。そして、「吉爺」は殺害され、智一は容疑者として警察に拘束されるのだった――

 ※ネタバレしています。

 本作の妙味はやはり、多重入れ替わりだろう。弟秀二は、妙見家の嫡子義典と入れ替わって生き続け、今度は自殺したと見せかけ義典の身分を捨て、主人公の同僚の教授黒岩となって現れる。黒岩教授がアリバイ作りに利用した銀座の偽物、主人公が混同した「吉爺」と無関係の老人、等メイン以外にも「入れ替わり」が多用され非常に凝った作りである(法月綸太郎の某作や、本書の解説を担当している三津田信三の某作を想起させる)。
 凝った作りは、イコールかなり人工的な真相ともいえ、黒岩教授は真の狙いを隠すため主人公へ罪を着せているのになおかつ自身のアリバイ工作をする必要があるのだろうかとか、黒岩教授が妙見義典(に成り代わった秀二)だとしたらどうあろうと山蔵には足を踏み入れないんじゃないかなとか、義典の身分を捨てたあとどうやって黒岩教授の身分を手に入れたのかとか、ツッコミどころはなくはない(読んでいる最中は、推理するごとにフェーズが変わっていく感じで、全体としてのつじつまは個人的にあまり気にならなかったが)。

 推理部分に関してはこんなところにして、その他の話題を。

 以前、同著者の『リア王密室に死す』(1982)を読んだ時には気づかなかったけれど、場面の演出が演劇風であるなと思った。例えば冒頭の場面のように、大学の研究室という「場」が固定されており、そこに登場人物が出たり入ったりして、主に会話によってストーリーが進行するところとか。梶はなにか演劇の心得があったのだろうか?

 また、本作、出版は1979年だが、作中の時代設定はそのおよそ10年前となる1968年である。なので、

「絵といっても、雑誌や印刷物に描いてるんです……」
「ああ、この頃、よくいわれる……イラス……イラストレーター……?」

 という独特の会話が繰り広げられる。
 主人公が女性とのデートで食事へ行くのが、まだ完成したばかりという竹橋の毎日新聞社ビルだったりするのも、時代の切り取り方に意表を突かれる思いだった(これ、1979年リアルタイムはどういう読み味だったのでしょうか)。