ぶりだいこんブログ

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『国際法』(大沼保昭/2018)

 ロシアによるウクライナ侵攻に関連して「国際法」というキーワードを何度か聞いた。曰く、「原子力発電所への攻撃は国際法違反である」など。自分は国際法というものがよく分かっていない。そういう法律があるのか?(ないような気がするけどあるのか?) 国際法に違反した国があったとして裁くことができるのか? そんな疑問を抱いて本書を手に取ってみた。
 著者の大沼保昭は日本の法学者。東京大学法学部教授などを歴任。2018年に病没。本書は遺作となる。

 まず「国際法とはなにか?」だが、

 国際法は、諸国が共にしたがうべき世界共通の規範を、諸国が明文で合意した条約と、「慣習国際法」といわれる不文法のかたちで示す。(第1章 国際社会と法)

 ということで、やはり「国際法」という名前の法典があるわけでなかった。
 国際法を構成する要素の一つ、「条約」についても知っているようで知らないことがたくさんある。例えば、条約の取り扱い方一つとっても国によってまちまちだ。

 条約に各国の国内法上いかなる地位を与えるかは各国が定める。①英国のように条約それ自体は国内で効力をもたず、議会が条約と同一内容の国内法を別個に制定する国、②多くのヨーロッパ大陸諸国のように、議会が条約を法律の形式で承認して国内効力を与える国、③日本のように公布により条約にそのまま国内法的効力をみとめる国、などがある。(第3章 国際法のありかた)

 もう一つの要素、「慣習国際法」は門外漢である自分になかなか理解が難しい。それはヨーロッパを中心に歴史の中で成立した国家間の慣行から生まれたもの、のようだ。この歴史的経緯について著者がいくぶん批判的である点も難しさを増しているところだ。

 たとえば海洋法上では一般には、慣習国際法では領海は三海里、それ以外は公海と考えられることが多かった。これは、英米という二大海上権力の慣行と主張を「慣習国際法」として主に英米の学者が定式化し、他の諸国は英米が有する圧倒的な海上権力という現実からこれに不承不承したがってきた、というのが実態である。他国が反対したくともその反対を英米に効果的にみとめさせることができず、事実上したがってしまっていることを「黙認」と構成し、それらの国々の同意があったものとみなすという法的なテクニックによって正当化してきたのである。(第3章 国際法のありかた)

 次に「国際法に違反した国を裁くことができるのか?」という点。
 察しの通りで、国家のさらに上に位置する機構というものが現状存在しないため、通常の犯罪のように裁く仕組みになっていない。では国際法に意味がないのかというとそんなことはないと著者は説く。国際法はあるべき理想を示したもので、国際法の理念自体に反対する国は少ない。その上で敢えて国際法に抵触しようとした際の有形無形のコストが、国家に国際法を遵守させるのだ。

 そういった総論ののち、本書は国家、人権、通商、戦争といった各論を取り扱っている。それぞれ興味深いが、ここでは当初の関心に基づき戦争のことを取り上げたい。
 戦争に関する最も重要な国際法の一つは1928年に締結された不戦条約である。世界史の教科書にも載っている内容だが、本書からも引用する。

 不戦条約第一条は、「締約国は国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし、且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戦争を抛棄することを其の各自の人民の名に於て厳粛に宣言す」と明記する。このように、不戦条約は戦争を一般的に禁止した史上初の多国間条約という意味で画期的なものだった。だが、まさにそうした初の条約だったがゆえに、さまざまな限界も抱えていた。(第8章 国際紛争国際法

 不戦条約には武力行使自体を禁止する条項や違反時の制裁の仕組みがなかったため、自衛のような名目で日本の満州事変やイタリアのエチオピア侵攻が公然と行われた。しかし、それは許されるものでなかったという連合国を中心とした国際社会の信念もあった。そうした経緯もあり、第二次大戦後のニュルンベルク裁判、東京裁判は不戦条約違反が根拠の一つとなっている。
 不戦条約に対する見直しの位置づけになるのが、戦後に作られた国際連合国連憲章である。

 国連は、憲章第二条三項で紛争の平和的解決義務を、二条四項で不戦条約よりもはるかに徹底した戦争違法観を確立し、第六章の国際紛争平和的解決手続きと第七章の強制措置の仕組み(集団安全保障体制を詳細に規定する)によりこれを担保しようとする。(第8章 国際紛争国際法

 今般でのロシアによるウクライナ侵攻の通り、安保理常任理事国に拒否権があるなどするため、それでもなお戦争を防げているわけでないが、違反行為に対する国連の制裁が功を奏すケースもある。1966年の南ローデシア(現ジンバブエ)制裁、1977年の南アフリカ制裁はそれぞれ人種差別的な政治を変えることに成功した。

 国際法は本書でそれを解説しているわたし自身が情けなくなるほど弱く、欠陥だらけで、限界を抱えた法である。しかし、弱肉強食のルールが支配する国際社会で諸国の行動を規律する法が国際法でしかない以上、わたしたちはそれに賭けるしかない。(第9章 戦争と平和