ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『あの子はもういない』(イ・ドゥオン/2016)

 ユン・ソンイの妹で高校生のチャンイが姿を消した。チャンイは同級生ソ・ユンジェの死との関連が疑われ、警察が行方を捜している。ソンイは離れて暮らしていた妹の家を訪れるが、そこでチャンイが異常な生活を送っていたことを知る――
 著者のイ・ドゥオン(이두온)は1985年生まれの韓国人作家。本書訳者あとがきによると、韓国コンテンツ振興院の「ストーリー作家デビュープログラム」に選ばれ、本作『あの子はもういない』(原題は시스터、姉妹の意)でデビューしたとのこと。

あの子はもういない (文春e-book)

あの子はもういない (文春e-book)

 

 ※ネタバレしています。

 陰惨で、しかし、やや現実離れした設定、突如始まる苛烈な暴力、といった要素は韓国バイオレンス映画――例えば、『殺人の追憶』(ポン・ジュノ/2003)、『悪魔を見た』(キム・ジウン/2010)、『殺人の告白』(チョン・ビョンギル/2012)、『殺人者の記憶法』(ウォン・シニョン/2017)等々を思わせる。
 主人公は若い女性なのだけど、まず彼女自身ががんがん暴力を行使する。これは序盤で主人公ユン・ソンイが夜道に暴漢から襲われる場面。

 髪をひっつかまれた。続けて腕を首で絞めあげられる。もみあう拍子に、彼の携帯電話が地面に落ちた。息が詰まる。彼は私の背中を胸に押し付け、荒い息を吐いている。私はベルトに差し込んでおいた麺棒に、そっと手を伸ばす。その先のほうを握ると、青年の腹を力いっぱい突いた。うっ! 彼が呻いてくずれおれる。私はその胸を足で蹴り上げ、どうにか彼から離れた。

 読んでいて、麺棒を隠し持っておくんだ! と驚き、しかし、韓国映画と地続きの世界観と考えると全然あり得ることだ、となんとなく納得してしまうところもある。

 韓国映画を随分引き合いに出してしまったけれど、登場人物たちの嫌な感じをねちっこく描けるのは小説ならではだ。登場人物は概ねクズかサイコパスかその犠牲者かなのだけれども、作中で最も邪悪な人物が、虐待の対象者として野球少年たちを毒牙にかける場面は、虐待者として話術が巧みに描かれ、嫌悪感を催させる。
 物語の主軸である、虚栄心に満ちた芸能人の両親に育てられた主人公の妹チャンイが、幼いながらもやはり虚栄心に囚われていく描写も、実にねちっこくて嫌らしい。特に架空のリアリティショー番組「ミリオン$キッズ」への出演が彼女の人生へ決定的に暗い影を落とす。

「(前略)チャンイが、自分を表現しようとする欲求が非常に強い子だったということです。必死になって、注目を集めようとしていました。そんなところが他の子たちにひどく嫌われたんでしょう。あの子はね、テレビの世界で通じていたことが、実生活ではさほど効果がない、ということに戸惑っていたようでした。それで時々、注目を浴びようと嘘をついた。(後略)」

 また、あとがきでも言及されているが、韓国の女性差別をテーマにした『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ/2016)のような場面も垣間見える。これは直接本筋と絡んでこないエピソードであるが、ある女性が、職場の上司に身体障害を負わされた事件を振り返る場面である(ちなみに、本作原書の出版は2016年2月なので、2016年10月刊行の『82年生まれ』の影響下にあるわけではなさそうだ)。

「そうかもしれませんね、ふつうは。でも、そのふつうっていうのが怖いのかも。私はすでに、ある秩序に馴らされてきたってわけですよ。加害者は上司で、歳も上。そんな相手には服従し、礼を尽くすべきだ。そんな考えが心にも体にも沁み込んでしまっていたんです」

  ミステリという観点では、自宅で何十台もの隠しカメラで生活を撮影されていた少女、という不気味な状況が、ある登場人物の立ち位置の反転ですっと畳まれ、なかなかうまい。主人公ユン・ソンイと準主人公のソ・ヘスンが美男美女という設定なところは、映画化に向いているかもしれない。
 あと、めっちゃ細かいところでは、スズメバチの主観描写があるところも好き。

 韓国映画を思わせる暴力的な世界観、誰が敵か味方か分からないスリリングな展開、そして、なにより韓国ミステリという未知のジャンルが着地点の見通しをさせず、大変フレッシュな読み心地でした。

 

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