ぶりだいこんブログ

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『ジョーカー』(トッド・フィリップス/2019)

 アメコミヒーロー「バットマン」の最大のライバルである悪役「ジョーカー」を主人公とした映画。ゴッサムシティに暮らす一介の市民だった男がいかにして「ジョーカー」に変貌していくかを重厚に描く。出演はホアキン・フェニックスロバート・デ・ニーロら。監督は「ハングオーバー!」シリーズのトッド・フィリップスヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞。

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  前に予告編を観た時、「なかなかいい雰囲気の映像だけど、監督は誰かが抜擢されたのかな」と思っていたところ、クレジットにトッド・フィリップスの名前があり驚いた記憶がある。トッド・フィリップスといえば、コメディ映画「ハングオーバー!」シリーズの印象が強いからだ。
 しかし、『ジョーカー』を観終わってからだと、案外共通点があるかもなと思った。それは両作共「ちょっと浮いてしまっている付き合いづらい人」が登場していることだ。
ハングオーバー!」シリーズでは、ザック・ガリフィアナキス演じるアランがそれにあたる。空気が読めず、自分勝手で、トラブルメーカーのため誰からも相手にされていなかったが、主人公たちは時に辟易としながらも仲間として彼を受け入れる。つまり、社会に包摂されている。
 一方、『ジョーカー』の主人公アーサー・フレックも、コミュニケーション下手で、妄想癖で、突然笑い出す病気をもっていて、まあ、あまり付き合いやすいとは言いづらい人物なのだが、「ハングオーバー!」のアランと異なり、社会から徹底的に排除される存在である。
 アーサーが、ピエロの仕事中に不良少年に絡まれて仕事道具を奪われてしまい、それを上司に弁償しろと怒鳴られ、家では痴呆気味の母親の果てることのない面倒を見て……と運の悪さと要領の悪さゆえに、人生が悪い方へ悪い方へと転がっていくさまが丹念に描かれており、中盤くらいまではただただいたたまれない気持ちになる(突然笑い出す病気も、養父による虐待が遠因であることが暗示され、それもまた辛い)。ジョーカーという狂気の人物の誕生を一本の長編映画にするならそれはもう非常にまっとうなアプローチだとは思うけれど、反面、『バットマン』(ティム・バートン/1989)のように「あちゃー、化学薬品タンクに転落しちゃいました!」と一種寓話的に描くか、さもなくば『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン/2008)のように生い立ち不明として描くのでないと、狂人に反転するまでの「人生のうまくいかなさ」の累積がちょっと耐え難いというところもある。
 個人的には本作の「バットマン」への目配せは余計かなと感じた。単体で十分完成しているように思うので、ウェイン家のくだりでバットマンを知らない人を遠ざけてしまうのではないかと思った。もちろん、バットマンというバックグラウンドをかき消してしまうと、本作の成り立ち自体が揺らいでしまうのかもしれないが(単純に、制作会社から「バットマン要素入れといてね」と頼まれて入れたけど、想像以上に完成度が上がってしまった、というようなところでしょうけど)。
 ホアキン・フェニックスの演技については文句のつけようがない。要領の悪い妄想癖なアーサーと、悪として覚醒し堂々としたジョーカーをそれぞれ演じ切っている。ホアキン・フェニックスの出演している映画ってこれまで観てないんだよな……と思っていたけれど、調べてると『サイン』(M・ナイト・シャマラン/2002)のメル・ギブソンの弟役だったんですね。映画の中のキャラクターとしては印象的だったけれど、俳優としては特に認識していなかった。
 うん、今観返すと、確かにホアキン・フェニックスの顔ですね。*1

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*1:『ジョーカー』と全然関係ない話で恐縮だけど、この『サイン』のエイリアン目撃シーン、「TV越しだと本物っぽく見える」、「手持ちカメラなのでなかなかフォーカス当たらない」など、『クローバーフィールド』の先駆けっぽい演出で、改めて観てちょっと感心した。あと、コメント欄で外国人が「子供の頃観てめっちゃ怖かった場面だわ!」って口々に言ってて、なんかいいな……