ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博、川端裕人/2020)

 2020年、世界的に大流行した新型コロナウイルス感染症COVID-19。厚生労働省の通称「クラスター対策班」中心メンバーとして従事、4月の緊急事態宣言時に「8割接触減」を提唱した理論疫学者西浦博に対するインタビュー。聞き手は小説家・ノンフィクション作家の川端裕人

  面白いかどうかでいうと、めちゃくちゃ面白い。
 COVID-19は我々自身が現在進行形で巻き込まれており、また、日本政府による対策も試行錯誤というか二転三転というかで心休まらないが、そうした状況を内幕に関わった医学者の立場で一貫して描いているのが、一種の小気味よさを覚える。
 西浦がクラスター対策班立ち上げに関わった経緯は本書で初めて知った。きっかけは二つあって、一つは北海道大学(当時)の西浦研究室が国立感染症研究所と協定のようなものを結んでおり、日本で感染症が大流行した際には西浦研が駆けつけ数理モデルで対策立案に寄与するとしていたこと。もう一つは、2020年1月の段階で、海外にいる西浦の研究仲間の情報に基づき、武漢で流行していた新型コロナウイルスの世界的蔓延の可能性を察知していたこと。そこから西浦の怒涛の日々が始まる。
 政治家は温度差があり、同業者からは刺され、見知らぬ者から脅迫状が届く。それでも理論疫学を信じてハードにワークする姿勢にはただただ頭が下がる。また、科学者たちが2011年の原発事故を踏まえ、科学と、政治や社会とのコミュニケーションに腐心している様子は興味深く読んだ。

 普段報道で見るような政治家を内幕から医学者の視点で描いているのも非常に面白い。例えば、ダイヤモンド・プリンセス号の対応をしていた際の、厚生労働大臣加藤勝信との会話を描く場面。

 そうすると次第に大臣から直接電話をいただくようになります。もちろん、最初は驚きました。2月半ばのある日の深夜、知らない電話番号から着信があり、「加藤でございます」と言われて、「はい? どちらの加藤さまですか」と聞き返しました(笑)。「厚生労働大臣の加藤でございます」と言われてはっと居住まいを正しました。

 なんとなく目に浮かぶやり取りである。
 もう一つ、3月に鈴木直道北海道知事と面談した場面も紹介したい。

 とても聡明な方でした。僕よりまだ年下で30代ですが、夕張の市長を務めたことでも知られるハンサムガイです。話を聞いていくと、北海道はインバウンドで経済が成り立っていること、札幌といえば歓楽街すすきのであり、札幌の経済の中心だということ、これら二つが影響を受けるのは困るんだというのが知事の本音なのですね。
 (中略)押谷先生と僕からの意見として、「知事はすすきののバーを守りたいんでしょうけど、実はバーの方が危ないんです」と伝えると、うーん、どうしようという顔で、すごく困っていましたね。
 (中略)知事が退出する時、すぐに道の特別秘書の方が来て、電話番号を聞かれました。「もしなにか相談があった時は逐次連絡してもいいか」ということで、中間報告とか評価の時点とかで知事が発表する数日前、あるいは発表の直前に知事から直接電話が入るようになりました。

 これはどこにも書かれていないので個人的な妄想だが、鈴木道知事らは西浦が北大の教授だったこともあり特別に信頼感を寄せたのかもしれないなと思った。

 ノンフィクションとしては前述の通り西浦の視角で事態を描いているため、裏表でCOVID-19が引き起こすパンデミックの全体像は掴み切れない。それを補うために川端によるコラムが随時挿入されるという構成になっている(本文はライブ感を重視し、コラムで俯瞰的視点を補う、という手法は、例えば、『田中角栄研究』(立花隆)でも見られるように、ノンフィクションのスタンダードでもある)。
 とはいえ、例えば、「三密」に言及する次のくだり。

 さらにそこから、官邸の首相補佐官付の官僚が、「密閉」(換気の悪い密閉空間)、「密集」(多数が集まる密集場所)、「密接」(間近で会話や発声する密接場面)という「三つの密」というような巧みな言葉を作って、3月半ば以降に使われるようになりました。初めて聞いた時、さすがだなと思いましたよ。「密接」という言葉など、普通は考えつきません。というわけで、政治家が「三つの密が――」と言えるような状況を作ったのは、官邸の官僚だったんです。

「官邸の官僚」とさらっと書かれているが、これはいわゆる「官邸官僚」のことで、2020年という時代において独特のニュアンスを帯びた役職の人々である。こういった文脈は5年も過ぎるともはや読み取りが難しくなっているかもしれないが、川端のコラムでそこまではカバーできていない。だから悪いという意味でなく、むしろ渦中の今こそリアルタイムでよむべき本なのだろう。

 余談だが、西浦は元HKT48指原莉乃のファンであり、緊急事態宣言前後の激務の時期にTwitterで指原からの直接リプライに感激している様子は、個人的に好感をもった(アイドルファンはアイドルファンに甘い)。

 本書で次のような言い回しが口をついて出るのもアイドルファンならではだろう。

「8割おじさん」は僕の本来的な仕事や役割ではなく、あくまでも緊急時に必要となったあの一瞬の出来事であるべきものなのです。おそらく、もうしなくても大丈夫なので、そっと8割おじさん用のマイクを床に置けばいいのだと思って、東京に置いてきました。

 本書自体も一種のアイドル本として読むことができる。渦中へ飛び込んで、がむしゃらに取り組み、成長し、その成長していく姿を(本書のように)リアルタイムに衆目へさらけ出し、応援を勝ち得ていくさまは、まさにアイドル的ありようとも言える。