ぶりだいこんブログ

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『人類と気候の10万年史』(中川毅/2017)

 近年は地球温暖化が進行しており、日本でもゲリラ豪雨や強い台風が頻発するような異常気象が続いている、と漠然と認識していた。が、本書を読んで、むしろ現代は地球史上稀に見る安定した気候であり、また、むしろいつ氷河期に転落してもおかしくないのだと知った。
 著者の中川毅は日本の古気候学者。京都大学大学院卒業後、国際日本文化研究センターニューカッスル大学等を経て、現在は立命館大学古気候学研究センター教授。

  本書は、著者が関わった福井県水月湖の年縞(放射性炭素による年代測定の「ものさし」として2013年以降の世界基準となっている)研究を中心に、気候変動と人類史を概説するというコンパクトな内容なのだが、読みどころは多い。
 白亜紀のように地球が最も温暖だった時代は北極や南極の氷もすべて溶けていた。一方、我々が住む現代は氷期の一部(間氷期)である。氷期はずっと寒いのでなく、気温は不安定な乱高下を繰り返す。暖かい年が連続したからといって翌年突然寒冷化するようなことがしばしばあったとされる。しかし、ホモ・サピエンスが農耕を始めたとされる一万六千年前以降は温暖でほとんど変動のない時代が続いている。こういったことは地学的には常識なのだろうが、自分は初めて知った。
 著者は、「変動の激しい氷期」から「安定した時代」への切り替えが、人類の文明発達に大きな影響をもたらしたと洞察する。

 それまで本質的に不安定だった気候は、一転して安定な状態に切り替わり、地球には安定した時代、言い換えるなら「近い未来なら予測可能」な時代がやってきた。予測が成り立つ時代とは、人間の演繹的な知恵が発揮されやすい時代ということでもある。氷期に巨大な古代文明が生まれなかったことと、氷期の気候が安定でなかったことの間には、おそらく密接な関係がある。

 この一文を読んで、あっ、と思ったのは、中国のSF小説『三体』(劉慈欣)を思い起こしたからである。『三体』は、まさしく「本質的に不安定だった気候」の人々が、「安定した時代」「「近い未来なら予測可能」な時代」を目指す話だ。

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 ちなみにこういった気候変動的な要素が、ゲーム『シヴィライゼーション』に要素として取り込まれたりしないかなとも思った(しかし、寒冷化したら文明が衰退する一方なので、ゲーム的には面白くないかもしれない)。
 以下、余談を二つほど。
 水月湖の年縞を最初に発見した人物として安田喜憲という人が登場する。

 水月湖で最初に本格的な掘削が行われたのは、1993年の夏のことである。掘削を指揮したのは、設立直後の国際日本文化研究センター助教授(当時)として抜擢されたばかりの気鋭の研究者、安田喜憲先生だった。他でもない、まだ大学院生だった当時の筆者の指導教官である。安田先生はその2年前の1991年、水月湖で年縞堆積物を発見された張本人である。

 安田喜憲は先だって取り上げた『長江文明の発見』(徐朝龍)角川ソフィア文庫版の解説を書いている。安田は徐と国際日本文化研究センターの同僚で、1996年に四川省へ飛び龍馬古城、三星堆文化の調査にあたっている。1993年から1996年の短い間に水月湖の掘削と長江文明の調査の両方に関わったとはちょっと驚きである。

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  それから著者はあとがきで山根一眞という人に謝辞を述べている。

 なお、私を篠木さんに紹介してくださったのは、ノンフィクション作家の山根一眞さんだった。山根さんは、もっとも早い段階で年縞研究に注目してくださったジャーナリストの一人である。水月湖が日本で多少なりとも注目されるようになったのは、山根さんの熱い語り口によるところがきわめて大きい。

 山根一眞は著作『メタルカラーの時代』で日本企業の新技術などを積極的に取り上げた。「週刊ポスト」連載ということもあっていささか品のない表現もあり、なかなか後世では評価されづらい作風かもしれないが、個人的には結構好きだった。調べると、山根は現在福井県年縞博物館の特別館長を務めている。

varve-museum.pref.fukui.lg.jp

「年縞」はまだ新しい言葉ですが、2018年1月に出版された『広辞苑・第7版』に初めて収載されました。多くの学科の教科書で、水月湖の年縞をテーマとするページが増え、生徒たちはいち早く年縞を学んでいます。私も、「中学国語」の教科書に年縞物語を書いています。
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