ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『三体』(劉慈欣/2008)

 中国でシリーズ発行部数2100万部に達し、2014年に出版された英訳版がヒューゴー賞を受賞したSF長編小説。翻訳は光吉さくら、ワン・チャイ、大森望の3名。

三体

三体

 

 内容をまったく想像させない印象的なタイトルと、中国で書かれたSF、ということで手に取った。
 紛うことなきジャンルSFで、それ自体が驚き。恥ずかしながら中国でこんなド直球SFが書かれていたとは知らなかった(逆に言うと、ジャンルSFそのものなので、SF読者以外が読んだ時にどういう感想を抱くのだろうか……とは思う)。

 ※ネタバレしています。

 プロローグは文化大革命期の中国。大学で物理学を学んでいた葉文潔は父の粛正に巻き込まれ、寒村へと送られる。窮地に陥れられるも、その才を買われ、軍の秘密基地へと連れて行かれる。

 まず文革の様子がきっちりと描写されているのに驚く。葉文潔の父が理知的な発言をすればするほど、反動分子として紅衛兵たちに理不尽な暴力を振るわれる。文革の場面がある小説を中国で出版することができるんだな(本当にタブーなのは文革でなく天安門事件だという話ですが)。
 文革がこの物語で地球を破滅に追いやる一つのきっかけとなるというアイディアも新しいし(人類の醜さに絶望した人物が人類滅亡を決意する、というお話自体はたくさんあるんですが、きっかけとして文革を採用したのはやっぱり知る限り初めてですよ)、父を殴り殺した紅衛兵たちと葉文潔が文革終結後に再会する場面は苦い。

 続いて舞台は現代中国へ切り替わる。北京のナノマテリアル研究者である汪淼は各国の軍人たちが集まる不思議な会議に呼び出される。理論物理学者たちが次々と自殺を遂げており、関係しているとされる科学者グループ「科学境界」に潜入するよう依頼を受ける。自殺した学者たちは「科学が殺される」ことに絶望しており、軍人たちは世界が戦争状態であると嘯く。
 やがて汪淼の身にも不可解なことが起こり始める。撮影した写真に数字が浮かび上がるようになったのだ。その数字は写真を撮影するたびカウントダウンのように減っていく。汪淼は謎を解くべく「科学境界」のメンバーへ接触し、彼らが奇妙なVRゲームをプレイしていることに気づく。そのゲームの名前は『三体』といった……

 この辺りの、未知の存在から通常考えられないような形でメッセージが送られ主人公が謎解きに奔走する、という導入は小松左京を思わせる(登場人物がみんな科学者で、不可思議な事象に対して科学的素養に基づいて議論を進めるという辺りも)。実際、朝日新聞のインタビュー記事によると、著者の劉慈欣は小松左京を読んでいるらしい。

www.asahi.com

 また、物語の終盤で明かされる、地球外超文明が人類に接触を図るというくだりも、『幼年期の終わり』の冒頭のようだ。なので、巻末解説で大森望が『果てしなき流れの果に』や『幼年期の終わり』に言及しているのは非常によく分かる。非常によく分かるが、自分もそうなんだけど、こういう系統のSF作品と出会った時に『果てしなき流れの果に』や『幼年期の終わり』を持ち出しがちなので、それはちょっと気を付けようと思った……

buridaikon.hatenablog.com

 VRゲーム『三体』の内容も背景も面白いし(ゲームを通じて自文明の課題を知らせるとか、あと、みんな大好きだろう人間コンピューターのくだりね。あれってマリオメーカー計算機みたいですよね)、古筝作戦の鮮烈なビジュアルもよい。科学を殺すくだりやゴーストカウントダウンはすべて三体人が開発した「智子」によるものだと本作内で一応ほとんどの伏線は回収しきっているところもエンタテインメントとしてよい。希望を感じさせる締めもよい。
 時々少し詩的な文章が交じるのもよい。

 なにかが透明であればあるほど、それは謎めく。宇宙自体、透明なものだ。視力さえよければ、好きなだけ遠くを見られる。しかし、遠くを見れば見るほど、宇宙は謎めいてくる。

 全体の構成としては、汪淼が「科学境界」とゲーム『三体』の謎を探るミステリー風味な現代パートと、葉文潔が紅岸基地で三体人とファーストコンタクトを取ることになる過去パートが交互に描かれる。これが少し煩わしいといえば煩わしく感じた。もちろん、紅岸基地の秘密を少しずつ明らかにしていく手管は秀逸で、続きが気になるのだけれども。一般論的には、『緋色の研究』や『恐怖の谷』みたいに現在パートと過去パートを二部構成で分けてしまった方がすっきりしそうだが、これまた大森望の解説を読むに、著者も別のところではあるが構成には悩んでいたようなので、やはり今の形がベストなのだろう。

 あと、これはいい悪いの話ではまったくないのだけれども、登場人物はほぼ全員中国人で、場所も中国で、宇宙人が中国に迫ってきて、中国が決戦の舞台になるというような小説を読むに、仮に1960~70年代に日本のSF小説アメリカ人が読んだらこのような気持ちになったのだろうか、と思った(繰り返すが、いい悪いという話ではないです)。

 ともあれ、ド真ん中のSFでありながら、中国発ならではの要素もあり、面白さと新鮮さが同居していて、とても面白かったです。

 

buridaikon.hatenablog.com