2019年春に仕事で中国遼寧省の大連市を訪れました。その際、オフ日があったので、省都瀋陽市へ足を延ばしてみました。目当ては瀋陽故宮と昭陵です。
大連から瀋陽へは高速鉄道で向かいます。事前に日本でTrip.com(旧ctrip)を使い高速鉄道を予約しておきます。やり方は『地球の歩き方』の巻末にも載っていますが、大連→瀋陽で調べると、「大連駅」or「大連北駅」→「瀋陽駅」or「瀋陽北駅」or「瀋陽南駅」といい感じに検索してくれます。大連発もないではないですが、ほとんどが大連北発。地理的にいっても大阪と新大阪のような関係だなと理解し、大連北発を選びます。瀋陽側は、地下鉄等の利便性で瀋陽駅がよいなあ。
というわけで、
に乗ります(暗くなってから帰るのは嫌だなと思って早めの列車にしましたが、あとで出てくる写真を見ていただければ分かる通り、この季節だと大連へ戻っても十分明るかったですね)。
大連から瀋陽へ
発車の1時間前を目安にタクシーで大連北駅へ向かいます。
中国の高速鉄道に乗るのは初めて。事前に多少予習していたものの、駅に入場しようとしたところ、係員から「まず切符を入手して来い!(的な中国語)」と追い返される。1階の切符売り場へ移動し、印刷しておいたTrip.comの予約引換番号とパスポートを渡し、無事に発券。係員がマルス的な端末に予約引換番号とパスポート番号のみを打ち込んで予約状況を確認していたので、予約時にパスポート番号を間違えていたら死亡。ちなみに、「急いでいる中国人はさくっと横入りしてくる」という話の通り、横入りがありました……
例えば、駅の切符売場に並んで待っている時、自分の前に誰かが割り込んだらどうするか。
その瞬間、中国人の頭に自動的に湧き上がってくるのは
「この人物が割り込むことで、自分が切符を買う時間がどれだけ遅れるか」
ということである。
力点はここでも「自分への影響の大小」にある。「割り込みはよくない」という世界一律の規範にあるのではない。ここがポイントである。
在華坊先生のブログを読んで、「プラットフォームへ下りるゲートは発車10分程度前にならないと開かない」、「にも関わらず発車時間の1~2分前には発車してしまう」という情報は得ていたのだけれども、本当にそうなのでびっくりする。
なお、この列車ははるばる黒竜江省牡丹江行き。
瀋陽までは鞍山西駅のみ停車。
日本統治時代の大連が舞台の推理小説『ペトロフ事件』(鮎川哲也)では、ある人物が特急あじあに乗って大連からハルビンへ向かう場面が描かれる(奉天は瀋陽の旧名)。
(前略)製鋼所がある鞍山を発車するころから、時速は百二十キロになって、煙硝のにおいの濃い首山、遼陽を通過すると、渾河を渡って奉天に着くのが14時17分。大連を出て五時間、四百キロの行程であった。(『ペトロフ事件』)
戦前は5時間だった所要時間が、現在は2時間弱で瀋陽駅到着。
高速鉄道で知らない街に到着することほどわくわくすることはない。
乗車フロアが2階で降車フロアが地下1階。完全に乗降分離されているのね。本当に空港みたい。地上へは出ず、そのまま地下鉄1号線へ。切符は券売機で購入。なぜだか現地の人たちが券売機の使い方に困っている模様。毎日乗っているのではないのか。
懐遠門駅下車。地上へ出るとすぐ目の前に懐遠門が。瀋陽の土地を初めて踏みしめましたが、こう、乾いた大地、という印象です(たまたまそういう日だったのかもしれませんが)。
門の中は豫園周辺のような擬古風建物にお土産屋といった風情。
瀋陽故宮
瀋陽故宮は清朝の初代ヌルハチと二代目ホンタイジが居していた宮殿である。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一角をなす。
大政殿。
鳳凰楼。
この日は春であるにも関わらず気温が30度超だった。人は多いし、暑いし、微信支付がないと飲み物も買えないし(自動販売機のコイン投入口が封印されてしまっているのだ)。
中街
歩いて中街という繁華街へ移動。広くて長い歩行者天国は上海の南京東路のよう(中国の繁華街でいつもこのたとえ使いがち)。
店内は綺麗。タブレットで注文するので中国語が喋れなくてもOK。
羊肉の焼売が名物らしいのだけれども、同行者が羊は苦手ということで、伝統焼売。ジューシーで美味しかった。
すぐ近くにある地下鉄1号線中街駅から、青年大街駅で2号線に乗り換え、北陵公園駅で下車。
昭陵
数分歩くと入場口。北陵公園内の深奥部に目指す昭陵がある。昭陵は清朝二代目ホンタイジの陵墓であり、「明・清王朝の皇帝墓群」を構成している。
公園内は恐ろしく広大。暑いし、日差しを遮るものもないし、若干へろへろになる。外では2元のミネラルウォーターが3元で売っていても買わざるを得ない……
中ほどにホンタイジの像が。
ホンタイジは清の太宗ですが、同族の間では、ヌレ・ハン(賢明なる可汗)と呼ばれていました。その名称にふさわしく、ホンタイジこそは清王朝の、事実上の建設者といってよいでしょう。思慮深く、しかも果断な人物でした。(『中国の歴史』(六)(陳舜臣))
昭陵の本体部分は方城と呼ばれる城壁に囲まれている。その入口。
城壁へは階段から昇ることができる。
故宮と違って人も少なく、風情があってよかったです。
こちらは陵墓の本体。
昭陵から公園の入り口までは1.5kmほどあり、暑さもあったので、帰りは電動バス(片道5元)を利用。
瀋陽から大連へ
北陵公園の入り口で流しのタクシーを捕まえ、瀋陽駅へ。タクシーは大連で見なかったエアコン付き。ちなみに、タクシーで行先を告げる際は確実を期すためスマホの高徳地図をそのまま見せるようにしています。
再び窓口で切符を引き換え、入場。一階は東京駅を思わせるモダンな内装ですが、
二階に上がると、ザ・中国の高速鉄道の待合という風情になります。
予定通り大連北行きの列車へ乗車。
帰りは一等車にしていたのですが、服務員が軽食ボックスをくれました。中身はクラッカーと、あとは中国的なソーセージとかサンザシとかでした……
道中は二時間弱ひたすら水田と畑が広がる。
満州(現在の中国の東北地方)に棲んでいた人、あるいは二年か三年の間滞在していた人でも、満州を語る場合に必ず一度は口にするのが「赤い夕陽」という言葉である。
森繁久彌は、満州から引き揚げてくるときのLSTの中で、「見はるかす曠野に沈む紅い紅い夕陽の中で、娘の手をとって佇んでいた私」を夢に見ている。
市橋明子(NTVプロデューサー)は、敗戦後の祖国にたどりついて、母親に真っ先に訊ねたことが「ねえ、日本の夕陽はどうして小さいの?」であった。(『実録 満鉄調査部』(上)(草柳大蔵))