ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(上)(下)(アンディ・ウィアー/2021)

 マッド・デイモン主演で大ヒットした映画『オデッセイ』の原作『火星の人』の著者であるアンディ・ウィアーの最新作。本作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も既にライアン・ゴズリング主演で映画化が予定されている。

 エンタテインメント性抜群の語り口でめちゃくちゃ面白かった! ストーリーテリングに妙技があるので、「これから読むぞ」という方は是非ネタバレなしをお勧めしたい(以下の感想は大いにネタバレしています)。

 主人公は狭い部屋のベッドで目覚めた時、記憶を喪失している。彼――のちにライランド・グレースと名前が判明する――は建物を探索する過程で、重力が1Gでないことに気づき、そこが地球でないこと、そして自分に科学的素養があることを認識する。
 徐々に蘇る記憶。グレースは地球で中学校の教師だった。ある時、グレースを含む科学者たちの間で太陽エネルギーの減少が話題となる。原因は太陽と金星の間に位置し、太陽エネルギーを奪う謎の微生物の仕業だった。「アストロファージ」と名づけられたその生命体は、太陽以外のいたる恒星でも観測される。が、唯一、タウ・セチ星系はその被害から免れていた。かくして、アストロファージ対策として人類をタウ・セチ星系へ送り込む「プロジェクト・ヘイル・メアリー」がスタートしたのだった。グレースは、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の総指揮者であるエヴァ・ストラットに引き抜かれ、計画へと巻き込まれていく。
 一方、現在、宇宙船「ヘイル・メアリー」内のグレースはすべての記憶を取り戻せないまま、もう一つの宇宙船を見つける。それはエリダニ40星系から訪れた別の知的生命体だった。グレースは生命体とコミュニケーションを重ね、彼らもまたアストロファージ対策のためにタウ・セチ星系を訪れていたと知る。エリダニ40星人「エリディアン」の「ロッキー」と邂逅したグレースは、タッグを組んでアストロファージの調査を開始するーー

 主人公グレースがタウ・セチ星系でアストロファージ調査をする現在パートと、地球でグレースが宇宙船「ヘイル・メアリー」へ乗り込むに至るまでの過去パート、を交互に描くのがストーリーテリング上の最大の特徴である。このような語り方は一般的に現在パートのスピード感を削ぐデメリットがあり、個人的に必ずしも最適な演出でないと考えているが、本作に限ってそんなことはない。
 なぜかというと、現在パートの主人公が記憶を失っており、宇宙での様々なトラブルを解決するため過去の記憶を一生懸命思い出す(=過去パートを描く)、という構成になっているためだ。つまり、(現在)トラブルや謎に遭遇→(過去)鍵となる記憶を思い出す→(現在)トラブルや謎を解決→(現在)新たなトラブルや謎に遭遇、というサイクルが綺麗に回っており、過去パートの存在がむしろ読者にページをめくらせる効用をもたらしている。この構成が抜群にいい。

 もう一つの美点は魅力的なキャラクターだ。
 誰もが挙げるのはエリディアンのロッキーだろう。見た目は岩でできた巨大な蜘蛛ということらしいが、エンジニア気質で主人公グレースをいつも助けてくれる力強い相棒だ。そして、人類とおなじように喜怒哀楽があり、文化の違いから来るおかしみもあり、読み進める内にロッキーへ愛着が湧いてくる(ちょっとあざとすぎるかもだけど。ベイマックスみたいというか)。
 例えば、主人公グレースが寝坊して約束の時間へ遅刻する場面。まるで恋人のように怒るのが可愛い。

 ぼくがきたので、ロッキーがこれまでより強く分離壁を叩き出す。そしてぼくが分離壁にテープで留めたポプシクルの棒の数字を指さし、彼の時計を指さす。一本の手を丸めて、げんこつにしている。

 エリディアンはメロディを奏でるような言語体系をもっており、グレースは英語との対応表を作りPCで自動変換する仕組みを構築する。その仕組みを使ってグレースは、なぜ、エリディアンの宇宙船「プリップA」にロッキー一人しかいないのかと質問する。

 ラップトップはその結果をたちまち翻訳してくれた。「最初はクルーは二三人いた。いまはぼくだけ
 オクターヴが低くなっていたのは……感情が影響しているのだろう。
「かれらは……かれらは死んだのか?」
エス
 思わず目をこする。ワオ。"プリップA"には二三人のクルーがいた。ロッキーは唯一の生き残りで、そのことであきらかに動揺していた。

 ミッションの途中で仲間を失い心に傷を負うロッキーへぐいと引きつけられる場面だ(もちろん、これはおなじように航行中に仲間を失ったグレースの心情とも重ねられる)。
 ようやくアストロファージ対策を確立し、グレースとロッキーがそれぞれの星系へ帰る別れの場面。

時間だ」と彼がいう。「ぼくらはこれから故郷の星を救いにいく
「ああ」
きみの顔に洩れがある
 目をぬぐう。「人間の事情だ。気にしないでくれ」
了解」彼が取っ手を押しやりながらエアロックのドアのほうへ進んでいく。ドアを開け、そこで止まる。「さよなら、友、グレース

 種を超えた友情、思わず涙してしまった……(アメリカエンタテインメントはこういうのを描くのが本当にうまい)
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の総指揮者エヴァ・ストラットもいい。プロジェクト遂行のため国連から地球上最大の権力を与えられ、それを躊躇なく行為し、あらゆるしがらみをブルドーザーのように薙ぎ倒していくさまが小気味がいい。グレースと変に恋愛関係にならないのもいい。これだけだと幾分嫌みなキャラになりそうなところ、プロジェクト達成後を冷徹に見通すバランスもうまい。

「わたし?」と彼女はいった。「どうでもいいわ。〈ヘイル・メアリー〉が発進したら、わたしの権威は消える。そうなったらたぶん、憤懣やるかたないそこらじゅうの政府から権力の乱用のかどで告訴されるでしょうね。残る人生、監獄ですごすことになるかも」
(中略)
「そんなことはないわ。ほかに種の絶滅しかないとなったら、とても簡単な話よ。倫理的なジレンマのなければ、誰にとってなにがベストか考える必要もない。このプロジェクトを推し進めることに専念するのみ」

 その他の本書の美点として、地に足のついたかのような技術描写がある。2021年現在の技術で突貫で宇宙船を建造する、という設定なのでグレースはタウ・セチ星系上でも表計算Excelを使うのだ!(「ストラットは充分に実証済みの既製品が好きだ」) 過去パート終盤の大事故も、いかにもなヒヤリハット事例でうまいなと思う(ヒヤリハットで済んでないが)。

 SFとしてはかなりオーソドックスな「未知の事象による地球規模の危機」、「地球外知的生命体とのファーストコンタクト」を、秀逸なストーリーテリングと魅力的なキャラクターたちで、間口の広いエンタテインメントとして磨き直した作品。
 面白かった!