ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『マンハント』(ジョン・ウー/2017)

 西村寿行原作映画『君よ憤怒の河を渉れ』を、アクション映画界の巨匠ジョン・ウー監督がリメイクした作品。日本・大阪を舞台に、無実の罪を着せられ、逃亡しながら真犯人を探す中国人弁護士と、それを追う日本人刑事を描く。主演の逃亡者を演じるのは『戦場のレクイエム』の張涵予(チャン・ハンユー)。日本人刑事役は福山雅治。他、國村隼桜庭ななみ池内博之ら日本人キャストの他、戚薇(チー・ウェイ)、ハ・ジウォン中韓キャストも出演。

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※ネタバレしてます。

 西村寿行原作をジョン・ウーが映画化するなんて絶対面白いじゃん! これは観に行かなければ! と劇場へ足を運んだんですけれども、これ、「無実の罪を着せられて逃亡する」以外、『君よ憤怒の河を渉れ』とまったく関係ないのでは……(これが原作というなら『逃亡者』も原作だ)
 まずね、冒頭の、港町の居酒屋のくだり、演歌が流れ出して、ああ、ジョン・ウーっぽい……で、これ、昔の日本が舞台なのかなと思っていたら、突然スマホが出てきて、あ、これ、現代日本だったんですねという……そして、居酒屋のママと女性店員が突然二丁拳銃でヤクザを撃ち殺し始めて、ああ、最初からぎっとぎとにジョン・ウーだ……
 大阪に舞台が移って、あべのハルカスの最上階でパーティーやってて、なんだろう、画面に映るのはみんな日本人で、舞台も日本なのに、立ち振る舞いから言動から服装からなにからなにまで絶妙に日本っぽくない(もっとはっきりいうと、日本が舞台で日本人が演じてても、これはやっぱり「中国」なんですよね)。でも、それがかえって新鮮で個人的には楽しい。大阪といえば、大阪城とか中之島の中央公会堂とかフェスティバルタワーとかをなかなかかっこよく映してくれていて、すごく嬉しいなと思いました。あと、うめきた広場のミストがちゃんとアクションに絡んでてすごい! うめきた広場愛好家は感動するのでは。
 さて、福山雅治が登場するんですけれども、誘拐犯に人質された子供を助ける、というキャラクター説明エピソードが非常にチープなんですが(笑)、誘拐犯役で登場する斎藤工が存在感を出している。なんなら矢村役もありだったというくらい。
 福山雅治と張涵予がくんずほぐれつで車を走らせる内に、なぜだか鳩小屋に突っ込むんですけれども(笑)、白い鳩がわーっと飛び立って、鳩を話に絡めるのにこの手があったか! と膝を打ちました。鳩はね、飛ぶだけじゃなくて、ちゃんとアクションにも絡むんです(ちゃんと?)。
 いや、もう他にも堂島川での逃亡犯と警察と殺し屋の三つ巴のはちゃめちゃさとか、え、ここで日本のお祭り!? とか(なんだろ、全体的に中国人の訪日観光客を意識しているのかなとちょっと思いました。違うかもしれませんが)、馬!? とか、いい場面はたくさんある。ジョン・ウーの娘さんが結婚式場へ二丁拳銃で乗り込んでくる場面もかっこいいし、手錠でつながれた福山雅治と張涵予の二丁拳銃もちょっと意味分かんないけどかっこいいし、手錠でつながれたまま福山雅治が日本刀で殺陣をするのもかっこいいし(ここで挙げた場面は当然全部スローモーションでめちゃかっこいい感じになってます)。
 警察内部の描写とか、秘密の地下研究所で人体実験とか、一般的な意味でのリアリティーは皆無なんだけど、ジョン・ウーが大阪の中心部でド派手なアクションをやってくれるの、やっぱりすごく嬉しい。『男たちの挽歌』みたいなセンチメンタルな感じはないのでそういうのが好きな人はがっかりかもだけど、でも、ジョン・ウーももうおじいちゃんだから、楽しいことしかやりたくないよね……戚薇さんとハ・ジウォンさんはすごい美人。福山雅治もスタントを使わずに体を張ったアクションをしていてよかったよ。

『殺人者の記憶法』(ウォン・シニョン/2017)

 引退した連続殺人鬼ビョンスが、新たな連続殺人鬼テジュと偶然遭遇する。テジュが娘ウンヒを毒牙にかけようとしていることを悟ったビョンスはテジュとの対決を選ぶが、やがてアルツハイマー病がビョンスを蝕んでいく。原作は韓国のキム・ヨンハによる同名小説。主演はソル・ギョング。他、キム・ナムギル、ソリョン、オ・ダルスらが出演。監督はウォン・シニョン

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 ※ネタバレしてます。


 殺人鬼VS殺人鬼とはなんと燃えるシチュエーション! と観に行ったところ、確かに殺人鬼同士が相手を出し抜き合うみたいな場面もあるのだけれど、どちらかといえば、記憶を失い混濁していく主人公が、過去に自分が犯した犯罪によって苛まれる……それも単に後悔の念に駆られるとかでなく、新たに発生した連続殺人が自分の手によるものでないという自信がない、自分が娘を守ろうとしているのか殺そうとしているのか分からない、という現在進行形の悪夢に襲われるんですね。かつて主人公は無心に人殺しをしてきたけれど、結局、それが今、娘を守ろうとする自分の邪魔をする。アルツハイマー病の殺人鬼というフィクショナルな設定が、「過去の自分に復讐される」という誰の身にも起こるような状況を、より先鋭的に描く。原作は読んでおらず、また、原作からアレンジされているのかもしれないけれど、エンターテインメントというよりは文芸的なテーマだとは感じた。
 と思いきや、ラスト近く、娘がボケ防止に渡していたボイスレコーダーによって、主人公ビョンスは自分でなくやはりテジュが殺人鬼であったことを改めて理解し、そして、今まさに娘のウンヒを手にかけようとしていることを知る。ここからの対決のくだりは完全に韓国流エンターテインメントで、たぶん、映画独自のパートのように思える。
 シリアス一辺倒というわけでもなく、主人公が張り込みでペットボトルに排泄した自分の尿を、瞬間的に記憶を失って飲んでしまうとか、ギャグシーンも多い。主人公の兄である警察署長もいい味を出している。
 主人公ビョンスが殺人の衝動に目覚めてしまったエピソードはなかなか痛ましいものがあるのだけれど、一方、テジュについてはあまりそういうのを描かない方がよかったように思った(頭蓋骨をぱかっと開けたのにはびっくりした)。
 ということで、殺人鬼VS殺人鬼というエンターテインメントな面構えをしつつ、内実は文芸的で、しかし、最後はやっぱりエンターテインメントに戻るという、独特のテイストの映画でした。

殺人者の記憶法 [Blu-ray]

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『世界の歴史〈17〉アメリカ大陸の明暗』(今津晃/1969)

 メキシコの近代史に関心があり、Wikipediaよりもう少し踏み込んだ知識を得たいと思って手に取った。
 本書が取り扱っているのはタイトルの通り南北アメリカ大陸史である。「合衆国史は別にいいんだけどなー」などと思いながら読み始めたところ、「南北アメリカ大陸史」という広い視点が、かえってメキシコ史の理解を深めるのに大変役立った

世界の歴史〈17〉アメリカ大陸の明暗 (河出文庫)

世界の歴史〈17〉アメリカ大陸の明暗 (河出文庫)

 

  著者の今津晃は京都大学文学部長を務めた、日本における合衆国史の開拓者。本書は河出書房より1969年に出版された世界の歴史シリーズの一冊。
 南北アメリカ大陸史において、考古学的な関心を除いて、日本人が最も興味をもつのは、「なぜ現代のラテンアメリカは合衆国、カナダと比べて政治経済的に不安定なのか?」という疑問ではないだろうか。著者は次のように喝破する。

 一六世紀初期のカスティリャおよびアラゴン両王国が中世封建的要素を多分に残していたのにたいし、一世紀半後の清教徒とイギリス王権との抗争は、近代社会をもたらす一八世紀諸革命の出発点だったからだ。こうして、封建制を多分に残していた社会はそれをそのまま新大陸へもたらし、封建制からの脱却がいちじるしかった社会は、基本的には、資本主義に必要な諸条件を新大陸にもたらすことになった。

 言い換えるとこうなるだろう。「南アメリカへ移民を送り出した16世紀のスペインと、北アメリカへ移民を送り出した17世紀のイギリスの、近代化の度合いの差である」と。
 個人的に盲点だったのが、1492年にコロンブスアメリカ大陸へ到達してから、1776年の独立宣言に至るまで、およそ250年もの間、ヨーロッパ人が今の合衆国の土地でなにをしていたのかということだった。結論からいうと、始めの100年はほとんどなにもしていない。中南米に比べて大きな文明がなければ魅力的な鉱物資源もなく、積極的に植民をしていくというモチベーションが薄かったようだ。ピルグリム・ファーザーズが北アメリカで開拓を始めたのは1620年である。その後100年以上かけてイギリスからの移民が東海岸を開拓すると共に、イギリス本国も清教徒革命(1641年)、名誉革命(1688年)を経て近代化が進展した。
 一方、スペインは1521年にアステカ文明を、1533年にインカ帝国を滅ぼし、中南米の植民地化を早々に達成していた。この「時期の違い」がのちに大きな差異をもたらした、と著者は指摘する。
 無論、これだけが理由ではなく、特にアメリカ合衆国の政治的近代化を促す地理的要因として、広大なフロンティアの存在も挙げられている。

 このように、土地の私有化が比較的容易だったということは、移住者一般に経済上の自立性をあたえたばかりでなく、土地所有者の大部分が参政権をもつことができたという特殊状況をつくりだし、さらにかれらがえらんだ植民地代議員を推進力として、政治上の自立にも役だったのであった。自由民の大部分が参政権をもてたという点は旧世界とのいちじるしい相違であり、一三の植民地がそれぞれ代議会をもったという点も、フランス植民地やスペインおよびポルトガル植民地との根本的な相違だった。代議会の存在こそ、一三植民地人に自治の技術を習得させたもっとも重要な条件だったといわなければならない。

  逆に、ラテンアメリカ諸国が大同団結できなかった理由として、これは『銃・病原菌・鉄』でも触れられているが、南アメリカ大陸の地理的要因があると著者は述べる。

 南北に縦走するアンデスの峻嶮、人跡未踏のアマゾンの密林、はてしなくつづく不毛の砂漠、こういった自然の障害が各独立国をたがいに隔離し、全体としての統一をはばんだのである。

 ともあれ、これらいくつかの理由によって、ラテン・アメリカの旧スペイン領は独立後も植民地時代の行政区画である副王領や総督領の境界線を残し、これにしたがって一六の独立国に分立したのである。

 このことはラテンアメリカ発展に暗い影を落とした。

 このような社会で、多くの資本蓄積が行われようはずはなく、したがって工業の発展も健全な中産階級の成長も望まれるはずはなかった。ラテン・アメリカは豊かな潜在的資源に恵まれながら、一九世紀半ばになってもこれを開発する技術や資本をもたず、外国資本のかっこうのえじきとなってしまう。着実な発展のためには安定した政府と経済的自立とが絶対に必要だったのに、経済的立ちおくれのため、前途は暗澹たるものがあったというほかない。

  先述の通り著者は合衆国史の専門家であるため、本作でも記述自体は合衆国に関する分量の方が多い。そちらも、イギリス本国と植民地の関係、北部と南部の関係などが俯瞰的な視点で描かれており、一本のストーリーとして合衆国史が頭に入ってくる。五十年近く前の著作のため、もしかすると最新の史学とは異なるような見解が描かれているのかもしれないが、個人的には大変勉強になった。

 

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『秘密 -トップ・シークレット-』(清水玲子)自分用全話解説

 清水玲子の『秘密 -トップ・シークレット-』は、各話のサブタイトルが「秘密 トップ・シークレット 2002」みたいに年号でしか表記されず、しかもその年号は作中の時系列でなく雑誌掲載年のため、めちゃくちゃ分かりづらい。いつも何巻にどの話が収録されているのか分からなくなってしまうので、自分があとで見返す用に全12巻のエピソードを整理することにした。
 ※ネタバレしてます。

総評

 SFミステリとしてオリジナリティが高い。いわゆる「本格ミステリ」方面でないところからこのようなアイデアが生まれたのは結構驚きである。
 遺体の脳の映像記憶が再生できる(しかも音声は再生できない)、という設定がマンガというメディアにとても適している。非常に視覚的なテーマで、また各話の適度なボリュームやよく練られたプロットから、連続ドラマ化の誘惑にも駆られるだろう(猟奇的なテイストといい、いかにもNetflixが連続ドラマ化しそうな作品だ)。
 一方で、少女マンガ的要素が猟奇ミステリと両立しているのも特徴的だ。警察組織が中心であるにも関わらず、登場人物は非現実的なまでに美形で(もちろん、それがいい)、また、特に後半が顕著だけれども、正義のために傷つきながらも孤高を目指そうとする薪警視正と、純粋にそれを慕う青木警部の、半ば恋愛のような関係が描かれ、最終的にお互いを「居場所」として認め合う結末も、安心感がある。

1巻

秘密 トップ・シークレット 1999(第1話)

 アメリカ大統領殺人事件。周知の通り、本作のみ登場人物が第九メンバーでなく、MRI捜査確立前のアメリカを舞台としている。読み切りパイロット版のような位置づけだったのだろう。MRI捜査が暴き立てる大統領の秘密と、読唇術のプロである主人公の、実の母親に対する秘めた思いの対比、それから大統領の秘密をセリフやモノローグなしに絵とコマ割りだけで描く鮮やかな表現力が卓越しており、実はシリーズで最も完成度が高いエピソードかもしれない。恐らく著者もこれで手応えを感じてシリーズ化を決意したのだろうし、自分もこのエピソードが面白くて続きを読み進めていったように思う。また、シリーズのメインである第九のエピソード群は猟奇ミステリの味付けが強く、それはそれで大好物なのだが、この大統領のエピソードのようなヒューマンドラマに寄せたシリーズ展開も、取り得る選択肢の一つだったんだな、とも思った。

秘密 トップ・シークレット 2001(第2話)

 少年連続自殺事件。シリーズを通して影を落とす「貝沼事件」も描かれる。貝沼のトリック(催眠術)を見抜いた第九が新たな犠牲を未然に防ぐために、ヘリコプターを飛ばす。

2巻

 秘密 トップ・シークレット 2002(第3話)

 第九新人の天地奈々子が脳だけ抜き取られて殺される。犯人は整形外科医。自分が共犯として関わっていた「渋谷連続少女殺人事件」を隠蔽するために事件を起こした、らしい。

秘密 トップ・シークレット 2003(第4話)

 冤罪死刑もの。一家惨殺事件の犯人が死刑執行されたあとに、事件の生き残りであり、真犯人である娘が姿を現す。娘の大量殺人の証拠を目撃した少年も殺害され、その脳をMRI調査しようとするも、その少年は盲目。万事休すかと思いきや、飼い犬の脳をスキャンするという展開が効いている。父親に襲われそうになったトラウマが原因。

3巻

秘密 トップ・シークレット 2005(第5話)

 着ぐるみによる復讐殺人。登場人物たちが過去のある行いによって次々と殺害されていく、というのはなんとなく海外サスペンスっぽい。

4巻

 秘密 トップ・シークレット 2007(第6話)

 電車内見殺し&バイオテロ。三好先生初登場。

秘密 トップ・シークレット 2007 特別編

 薪だけが真相を知っている、石丸大臣偽装自殺事件が断片的に描かれる。

5巻

秘密 トップ・シークレット 2008(第7話)

 沼から死体が出てくる。児童虐待のフラッシュバックと、時効を迎えた誘拐殺人の2エピソードが、事実上合体したスタイルとなっている。

秘密 トップ・シークレット 特別編

 岡部がぎくしゃくした親子を助ける短編。

6巻

秘密 トップ・シークレット 2008 A PIECE OF ILLUSION(第8話)

 介護に疲れた中年女性が殺人する話。過去回であり、岡部が第九へ異動するエピソードにもなっている。

秘密 トップ・シークレット 2008 特別編 COPY CAT

 秋田の一家惨殺事件は、イギリスのテレビドラマの模倣だった……初読の際、話が途中でぶつっと切れて終わるので、困惑した覚えがある。全話読むと、最終話に向けての伏線だったことが分かるけれど。

7巻

秘密 トップ・シークレット 2009(第9話)

 外務大臣の娘が誘拐される話。インターナショナルで、派手な舞台立てに、どんでん返しを畳みかけており、最もエンターテインメント寄りだと思う。ただ、薪の説教くささというか、犯人の代弁者ぶりもピークとなっており、好みが分かれるかもしれない。

8巻

秘密 トップ・シークレット 2009 特別編 一期一会 A once-in-a-lifetime chance

 非事件回。第九の分室設立が計画される。この話読むといつも、薪さんと職場が別々になると知って涙をぽろぽろこぼす青木に噴き出してしまう(半分ギャグだと思う)。

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『秘密 -トップ・シークレット-』8巻 48~49ページ
秘密 トップ・シークレット 2010(第11話)

 地震の話。失認状態の脳からどうやって犯人を特定するかというエピソードと、大地震のトラウマ、という2つのエピソードが合体した構成となっている。先生の花柄のシャツとか、遺体の写真の対比とか、視覚的な伏線が効果を発揮している。

9巻~12巻

秘密 トップ・シークレット 2010 The Last Supper プロローグ

 第九のデータへのハッキングと、薪の車に爆弾が仕掛けられる話。ハッキング犯として、貝沼事件で精神病棟へ幽閉された滝沢の存在を薪は疑う。また、冒頭から最後まで、家屋内での惨殺のイメージが描かれる。

秘密 トップ・シークレット 2010 The Last Supper

 薪だけがMRI捜査をしたという「カニバリズム事件」、青木と三好先生の食事会、滝沢の第九復帰、青木姉夫婦の惨殺事件が描かれる。関係ないけど、食事会は恵比寿のガストロノミー ジョエル・ロブションと思しきレストランで行われている。2060年にもロブションはあるのだろうか*1

秘密 トップ・シークレット 2010 END GAME(第12話)

 最終話の長編もの。ポリティカルフィクションテイスト。青木姉夫婦殺害は、カニバリズム事件を目撃していた薪への警告だった。犯人は中央アジア・チメンザールの政府組織。民主化運動のリーダー、ヒラル・アイ殺害を隠蔽するためのものだった。ヒラル・アイ殺害の唯一の生き残り、ハシムは日本へ亡命後、ヒラル・アイ殺害を公にするため、敢えて「カニバリズム事件」を起こし、自分の脳を薪に見せていた*2
 ちなみに、薪と滝沢の屋内での格闘と、強襲部隊の突入をカットバックで描き、でも、強襲部隊は薪に騙されて全然別のところへ突入してました、って演出は『羊たちの沈黙』からの引用でしょうか。

秘密 トップ・シークレット エピローグ・一期一会

 第九の九州管区室長になった青木が、渡米した薪へ会いに行く話。繰り返しになるけれど、猟奇ミステリシリーズなのに最後は主人公の「居場所」の話になるのが、日本の少女マンガらしくて、好きなところだ。

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『秘密 -トップ・シークレット-』12巻 166~167ページ

*1:MRI捜査を成り立たせるためだけの未来設定なので、事実上は2000年代の話ですよ!

*2:ハシムが死んだという描写がないので、なぜMRI捜査をする至ったのかが腑に落ちないけれど。

『52Hzのラヴソング』(魏徳聖/2017)

 様々なカップルの恋愛模様を、バレンタインデーの1日間に限定して描いた台湾のミュージカル映画。ミュージシャンでもある小玉、莊鵑瑛、舒米恩、米非らが出演。監督は『海角七号 君を想う、国境の南』、『セデック・パレ』2部作で知られる魏徳聖

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 ※ネタバレしてます。


 ミュージカル映画なのだが、冒頭から終盤にかけて怒涛の如く歌い続けており、なんなら会話している場面より歌っている場面の方が長いかもしれないくらい。ただ、歌によって話を転がせていくのはなかなか困難のようで、心情表現は十分できるのだけど、状況の変化が起こらない(中盤くらいまではキャラクターが登場して他のキャラクターと出会う程度のことしか起こらない)。歌そのものは悪くないし、なのでテンションもまあまあ高いのだけど、どうも中弛み感が否めない。
 とはいえ、このまま最後まで歌で通したら、それはそれで新しいスタイルの映画の誕生かもしれないな、と思っていたら、終盤、レストランでの重要な場面に差し掛かると、歌うのをやめ、会話を始める。会話を始めると、舒米恩と米非をケンカをし、小玉と莊鵑瑛が付き合い始める等、途端に話が転がり出す。話を進めるためにはやっぱり歌ってるだけじゃだめなんじゃん!
 ということで、ミュージカル映画は歌と会話のバランスが重要なんだな、と改めて感じ入った。
 小玉のコンドミニアムみたいなアパートとか、莊鵑瑛の花屋とか、セットや合成であることを隠さないのは、ミュージカル古典映画へのオマージュなのだろうか?
 李千娜と張榕容の女性同士のカップルが、さほど障害に阻まれず、さらっと結婚に至っていたのは、よかった。

 

Kai Men Guan Men (From '52Hz, I Love You' Soundtrack / Theme Song)

Kai Men Guan Men (From '52Hz, I Love You' Soundtrack / Theme Song)

 

 

『バーフバリ 王の凱旋』(S・S・ラージャマウリ/2017)

 インド大作映画『バーフバリ 伝説誕生』(2015)の後編。古代インド、マヒシュマティ王国を舞台に、英雄バーフバリ親子が王位継承権を巡る争いに巻き込まれるさまを、歌、ダンス、そして、類を見ないアクションで描く作品。主人公バーフバリ親子を演じるのはプラバース。他、アヌシュカ・シェッティ、ラーナー、ダッグバーティ、ラムヤ・クリシュナらが出演。監督・脚本は前作に引き続きS・S・ラージャマウリ。

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 めちゃくちゃ面白かった! 前作は観てないけど、冒頭にこれまでのあらすじがあるので問題ない!


 ※ネタバレしてます。

 これ、ちょっと変わった語り口の映画で、前作『伝説誕生』の後半から、本作『王の凱旋』の中盤くらいまでは、ずっと回想なんですよね。だから、前作は回想の途中で終わって、本作は回想の途中から始まる。
 冒頭、シヴァガミがシヴァ神をお参りをする。頭に乗せた火鉢を落としたら願いが成就しない……というところで象が突然暴れ出す。シヴァガミピンチ、と思いきや、バーフバリが山車みたいなのを動かして象の横っ腹にがつーんと体当たり! 象もバーフバリを見るや跪く。バーフバリは象の鼻を上り、頭へ足を置く。民衆の「バーフバリ! バーフバリ!」コール。もうこの場面だけで、話の分かりやすさ、アクションのド派手さ、バーフバリのかっこよさ、そして作品自体のテンションの高さに、心を鷲掴みにされた!(また、このエピソードが伏線となって、ラストの大団円につながっているなど、脚本もちゃんと練られているのだ!)
 続く、バーフバリがデーヴァセーナを娶る一連のエピソードもいいんだよね。デーヴァセーナが矢を2本同時に射る練習をしてて、これ、いったいなんのためのカット……と思っていたら、あとで「バーフバリは2本どころか同時に3本の矢を射ることができる!」というバーフバリ上げのための伏線だった! 3本射撃で敵(というか自国兵なんだけど(笑)*1)をばったばったと薙ぎ倒していく場面はこれ以上ないくらい外連味たっぷりに描いてくれるし、デーヴァセーナとの6本同時射ちもいい。
 ヴァルマ(デーヴァセーナの従兄弟で婚約者)は始めは噛ませ犬っぽかったけど、バーフバリに促されて勇気を振り絞る場面がぐっと来るんだよなあ。中盤の、よかれと思ってバラーラデーヴァを暗殺しに行ったらかえってバーフバリを窮地に追い込んでしまったのも、不憫だ。
 バラーラデーヴァ、ビッジャラデーヴァは変に善玉要素を出したりせず悪役に徹しているのがよいところで、しかし、彼らがバーフバリ殺害に至る経緯もそれなりに納得感があり、しっかりした脚本というか、キャラクター描写なんだ。ていうか、半分くらいはデーヴァセーナが煽り過ぎたのも悪い気がするけど(笑)。デーヴァセーナも極めて誇り高い人物として好ましく描かれているので、それはそれでいたしかたなし。
 アクションは、『300』系列のスローモーションを多用した、というかあの感じを背脂マシマシにしたみたいなぎとぎとさなんだけど、人物の動きは分かりやすい。また、バーフバリが最強の戦闘力をもちながらも知恵を使って戦うというスタイルのため、木を切り倒して敵だけ倒すとか、さっきの3本同時射撃とか、人間パチンコ玉(というんですかね……)とか、ハリウッドや邦画や韓国映画ではないような斬新なアイディアを惜しみなく投入しており、とても楽しめる!
 あと、衣装、セット、エキストラ等、めちゃくちゃお金がかかってることも分かる! 当然CGも多用されてるんだろうけど、それにしてもちゃんと古代インドらしいスケール感がある!
 総じて、話が面白くて中弛みとかないし、アクションは見応えがあるし、敵味方含めキャラクターは魅力的だし、古代インドを舞台にして荒唐無稽なまでにスケールがでかいし、めちゃくちゃ面白かったです!

 

*1:2018年6月追記:マヒシュマティ王国が攻めてきたのだと思い込んでいましたが、『完全版』観て、山賊ピンダリだったことに気づきました。

松村沙友理写真集『意外っていうか、前から可愛いと思ってた』と「CanCam」2018年2月号

 松村沙友理は女性アイドルグループ乃木坂46のメンバー。乃木坂46の19枚のシングルCDすべての「選抜」に選ばれている人気メンバーの一人であり、女性誌「CanCam」の専属モデルも務めている。
 乃木坂46はメンバーの個人写真集を2017年に計11冊発売し、その内6冊がオリコン年間写真集ランキングに入った。特に白石麻衣の写真集『パスポート」は22万部を売り上げ、記録的なヒットとなった。
 本書『意外っていうか、前から可愛いと思ってた』はその流れに連なる、松村のファースト写真集である。

 

松村沙友理写真集

松村沙友理写真集

 

 


『意外っていうか、前から可愛いと思ってた』は松村さんが専属モデルを務める「CanCam」が製作に大きく関与しているためか、コラージュや余白を効果的に使った、ポップなデザインとなっている。
 セクシャルなニュアンスが比較的薄いのも印象的だ。
 具体的には、胸元を俯瞰の視点で撮るような写真はなく、胸の谷間が写るのは水着などオープンな衣装の時のみだ。また、下半身を切り出したようなフェティッシュな構図も少なく、胸やお尻の写真でも必ず「顔」(=表情)を構図の中へ入れるようにしているのも特徴的である。衣装に関しては、ウェディングドレス姿があるし、また、下着姿も少なからずあるけれど、若い女性が実際に着けそうだなというデザインのものばかりだ。
 逆にいうと、いわゆる男性が好みそうな、からだのパーツを強調したような構図や、親近感のあるような衣装は少ない。個人的には、「事後です」みたいな思わせぶりな写真集よりは、これくらいの距離感のものの方が安心して見られるところがある。

  自分は松村さんの「にぃ」という表情が好きなので、P61の赤い水着のところ、P72の天使の格好をしてカラオケをしているところ、P83のサーモンピンクのウェディングドレスを着ているところ、P110のウサギ耳をつけてブランコに乗っているところ、などが好きなページだ(しかし、写真集ってノンブルないからページ数調べるの大変ね……)。
 ちなみに、「意外っていうか、前から可愛いと思ってた」という写真集としては独特の(はっきり言うと変な)タイトルは、いくつかある候補の中から松村さん自身が選んだらしい。候補は乃木坂46総合プロデューサーの秋元康さんが手がけたのだろうか。
 秋元康さんがこの写真集の帯以外で松村さんに言及しているのは、自分の知る限り次の過去1回だけである(秋元さんは乃木坂46の個別メンバーについてはほとんど言及しない)。

 あと松村(沙友理)は、もともとすごく頭のいい子なんだけど何か独特の不思議なキャラで、”さゆりんご軍団”…面白いな~、それで1曲作ろうかな~とか。
「別冊カドカワ総力特集乃木坂46 vol.02」

 秋元康さんも松村さんも「実務能力を伴わない企画先行型」というくくりではおなじタイプ。しかし、おなじ企画先行型でも、松村さんは、「さゆりんご軍団」というネーミングに象徴される、秋元さんにないすっとぼけたセンスをもっており、それを秋元さんは少し羨ましく感じているのだ、と勝手に考えている(秋元さんはハズした感じを出そうとするとスベってしまいがちなので……)。

 

※ 


CanCam」2018年2月号は写真集とタイアップして松村さんを表紙に採用し、かつ、25ページもの特集を組んでいる。

CanCam(キャンキャン) 2018年 02 月号

CanCam(キャンキャン) 2018年 02 月号

 


 ハワイでのロケ記は、5日間の行程を7ページに渡ってねっちり記述しており、写真集巻末のインタビューがどちらかといえば内面的な内容だったので、それを補完する形にもなっている。
 さゆりんご軍団が誌面へ応援に来ているのも、応援している身としては嬉しい。「さゆりんご軍団」は、松村さんが結成したグループ内ユニットで、松村さんを筆頭に伊藤かりんさん、寺田蘭世さん、佐々木琴子さんが所属している。自発的なユニットでしばらくは乃木坂46の替え歌を作って細々と活動していたのだが、やがて秋元康さんも触発されて「白米様」という曲を書き下ろしたくらい、影響力のある軍団なのだ。

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 さゆりんご軍団にはいろいろ泣かせるエピソードがあるのだけれども、それはまた別の機会に譲るとして、団員がそれぞれ松村さんの人となりや好きなパーツを挙げているところが、本当に結束力があるんだなと改めて感じ入った。

 


 余談だが、この「CanCam」2月号自体にも結構驚いた。
 まずインスタ映え特集が60ページも続くのである。冒頭に登場するのはRADIO FISHで中田敦彦さんが立身出世のためのインスタ映えを野心的に語っており、それだけで結構おなかがいっぱいになるのだが、その後も乃木坂46(松村さん、新内眞衣さん、与田祐希さん、山下美月さん)のインスタ映え、E-girsのインスタ映え等々……ファッションもあくまでインスタ映えするためのポーズや小物という取り上げ方で、あくまでインスタが主、ファッションが従なのである。
 長いインスタ映え特集が終わると、次はパンダ特集が始まる。動物の、パンダである。黒柳徹子さんまで動員しての気合の入れようである。
 そのあとは先述の松村さん特集に、イケメン特集が続く。
 2月号だけなのかもしれないけど、インスタ映え、パンダ、アイドル、イケメンと半ばカルチャー誌だ。ファッションはそれらを成り立たせるための要素に過ぎなかったりするところが、ちゃんと時代に追随していってて、すごいなあと思った。

 

 

 

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