行儀の悪い話だが、満員電車で目の前の人が本を読んでいると、なにを読んでいるのだろうとつい覗き込んでしまう。大抵はふーんと思うだけなのだけれども、10年以上前のある朝の満員電車で、ミステリと思われる小説の解決編を読んでいる人がいて、その数ページだけでも尋常でない展開で、興味をもって表紙を盗み見たところ、『TENGU』という小説だった。その『TENGU』がKindleでも読めることを知り、手に取ってみた。
柴田哲孝はノンフィクション作家兼小説家。本作『TENGU』で大藪春彦賞を受賞した。また、ノンフィクション方面として『下山事件 最後の証言』(2006年)で日本推理作家協会賞の評論部門も受賞している。
通信社でデスクを務める道平慶一は、群馬県警の鑑識である旧知の男、大貫に呼び出される。癌で余命いくばくもない大貫は、26年前の殺人事件の再調査を依頼する。自身も取材で深く入り込んでいた道平は事件を思い返す。
1974年、群馬県沼田市の山村で一家三人が惨殺された。三人とも何者かの腕力により身体を激しく損壊させられていた。村の老婆は言い伝えの「天狗の仕業」と訴えた。若手記者だった道平は取材の過程で村に住む盲目の美女、彩恵子と出会い、二人はやがて恋に落ちる。一方、村には米軍の影が見え隠れしていた。
現代。道平は事件の過程で偶然手にしていた「天狗」の体毛をDNA鑑定にかける。その結果は、現生人類と似て非なる生き物、であった――
※ネタバレしています。
本作はシリーズもので、他に『KAPPA』(1991)、『RYU』(2009)など日本の妖怪を扱っており、あたかもハードボイルド版京極堂シリーズのようだが、読み味はむしろ島田荘司が提唱するところの「本格ミステリー」。天狗の仕業としか思えない連続殺人。その真相は――現代に生き残ったネアンデルタール人の犯行だった! なんだってー!
近作で『聖乳歯の迷宮』(本岡類/2023)も、読み味は異なるが、「イスラエルで発掘されたイエスのものと思われる歯をDNA鑑定したら現生人類と異なっていた」、という類似の謎を扱っている。『聖乳歯の迷宮』の真相の方がスマート(現実的に着地できている)。しかし、『TENGU』はスマートさよりロマンを取ったのである……
本作でネアンデルタール人は身長2メートルを超す巨体と描かれている。『絶滅の人類史—なぜ「私たち」が生き延びたのか』(更科功)のよると、ネアンデルタール人は確かにホモ・サピエンスより筋肉が太かったものの、身長が著しく大きいというわけではなかった、と推測されている。
ホモ・サピエンスより、背がやや低く、がっしりとした体形をしていた。(『絶滅の人類史』より)
まあ、この辺りはフィクションとして盛り上げるための、著者のアレンジなのだろう。
本作のネガティブな点としては、主人公道平が過去の青年時代も、現代の壮年の時代も、美女に言い寄られているところだろう。道平が特別魅力的に描かれているわけでもないので、なんだか非常にナルシスティックに見えてしまい、ここだけはちょっと目が滑りながら読んでいた。特に青年時代に知り合う彩恵子は、盲目で、知能に少し問題があると描かれ、村の男たちから夜這いされるのをしかたなく思い、かつ、ネアンデルタール人の生殖も受け入れている、というすごすぎる女性なのだが、そういう女性を助けたいと思う主人公が、しかし、助けられず、年を取っても思い続ける、というのが「男に都合のいい自己憐憫!」と思ってしまった。
それはともかく、ハードボイルドタッチの作風でありながら考古学ロマンをドストレートにぶっこんだオリジナリティ溢れる作品で、面白かったです。
ちなみに、読み終わってから改めて振り返ると、自分が電車の中で覗き込んでいたのは、本当にラスト数ページだったようだ(民家の二階にネアンデルタール人の末裔がいる、という場面!)。それがなければ手に取らなかったタイプの本だと思うので、ある意味幸運な出会いだったのかもしれない。