2019年冬に中国遼寧省の大連市を旅行しました。旅行というか出張ですけどね。旅行は出張を包含するからいいのです。
中国東北部は初めて。港街である大連、冬は海鮮が美味しいと事前に説明を受けており、実際に現地ではいろいろ歓待を受け海鮮などもいただきました。個人旅行ではなかなか難しい円卓に次々と料理が運ばれてくるというやつで、大変美味しゅうございましたが、その辺は割愛しまして個人で出向いたところを取り上げます。
大連博物館(大连博物馆)
大連博物館は、大連の近代史――具体的には1840年から1949年までを取り上げる歴史博物館。地下鉄1号線の会展中心站から歩いて3分ほど。入場無料ですが、入口でパスポートチェックがありました(最近の中国の施設はだいたいそうみたいなので、みなさん、パスポート携帯していると思いますが)。
おすすめかというと、まず展示がすべて中国語で、日本語はおろか英語の解説すらないという点で少しおすすめしづらい。しかし、日本近代史がある程度頭に入っていれば概ね理解はできるし(そう、大連の近代史は日本の近代史と密接に関連しているのである)、「大連市は大連の歴史をこのようなストーリーで捉えている」というのが分かってなかなか面白い。
では、「大連市が考える大連史とは?」というところですが、まずはアヘン戦争で敗北したあと、李鴻章がそれまでは小さな漁村だった旅順を近代の軍港として整備しようとしたところから始まる。
そして日清戦争勃発。当時の日本軍の写真や装備品などが展示してあってなかなか興味深い(逆に日本国内で日清戦争を本格的に扱った博物館ってあるのだろうか?)。
ちなみに、日清戦争中に「旅順大屠殺」(旅順虐殺事件)というのがあったことを初めて知った(なかなか難しい事件のようですが)。
三国干渉後にロシアの租借地となった大連は西洋風の近代都市として整備される。
満鉄のマークが入った食器とか、いいですね。
満鉄路線図、いいですね。
一方、民族資本による工業が勃興。
また、日本による都市建設の裏では中国人労働者たちの血と涙が。
「多元文化交流」のコーナーでは、日本統治時代の地元の画家が寺に納めた掛け軸などなかなか興味深い展示。
寒い地域なので民家にオンドル的な機構があったようだ。
占領時代も民衆による抵抗運動が(ややプロパガンダ色の強い展示)。
そして、日中戦争終了後、ソ連赤軍による大連の解放がある。実際に赤軍が民衆に大歓迎されたりしている写真も残っているのですね。
国共内戦の後背地だった大連は前線への物資供給基地となる。
展示は中華人民共和国が成立した1949年で唐突に終わる。意外にも中共の時代はほぼ展示対象外なのである。
『地球の歩き方』では、「日本の関わる歴史を公平に扱おうとする姿勢が見られることは中国では稀有といえる。ぜひ訪ねてほしい。」とあるが、ニュアンスはほんのり異なるような。とはいえ、大連という街が清、ロシア、日本、中華人民共和国と異なる国によって重層的に作られた街であるというのはよく理解できた。
展示のハイライトは後半にある多元文化交流パートと思われるので、前半で体力を使い過ぎないようアヘン戦争や日清日露戦争辺りはさくっと回るのがおすすめ。
勝利広場(胜利购物广场)
勝利広場は大連駅前にある広場です。一見なにもないですが、地下はダンジョンのようになっています。地下街は「東京小城」、「勝利美食広場」、「貞花韓国批發城」、「銭隆大集」、「地鉄101購物街」といった様々なゾーンに分かれています。
こういうごちゃついた階層構造いいですよね。
店舗スペース刻んでるのいいですよね。
エスカレーター下も隙間なく使うのいいですよね。
鍵曲連発のような先が見えない通路いいですよね。
これ、お化け屋敷の出口かなにかかと思って裏側に回ってみたけど、別になにもなかった。
全体像はこんな感じ。
自分は中野ブロードウェイとか船場センタービルのような雑然とした(と言ったら失礼かもしれんが)雑居ビルが好きなのですが、勝利広場地下街はそれらを恐ろしく煮詰めたような感じで、とても大好物でした。まだ全貌を把握し切れていない。
双興市場(双兴市场)
大連駅の北側にある双興市場へ向かおうと友好路を北上し、跨線橋を渡る。
昔ながらの街並みと、アホほど高い超高層ビル(「大連中心・裕景」。388メートルで、あべのハルカスより88メートルも高い……)。
双興市場と勘違いして双興商品城へ入る。
乾物や、
衣服はあれど、
生鮮食品が見当たらない。おかしいなと思って調べると、この建物はショッピングモールで、市場は屋外だったんですね。慌てて外へ出る。
双興市場はドライフルーツ、
果物、
野菜、
食肉、
鮮魚等のゾーンに分かれており、それぞれが広大なスペースを持っている。バンコクのクロントゥーイ市場とかも大きいと思ったけど、やはり中国はスケールが違いますね……
『ペトロフ事件』
今回の旅行前に『ペトロフ事件』(鮎川哲也/1950)を読んだ。
『ペトロフ事件』は鮎川の初長編で、ロシア人富豪ペトロフ殺しをシリーズ探偵である鬼貫警部が推理するというミステリ作品だけれども、最大の特徴は舞台が日本統治時代の大連ということだ(ただ、『ペトロフ事件』は事件発生が大連郊外の夏家子だったり、容疑者のアリバイが旅順にあったりと、なかなか大連市街地の場面が少ないのだが……)。
これは大連駅前面の写真。
10時44分発の上り列車に乗った鬼貫は、警察署のある沙河口駅では下車せずに、そのまま終駅の大連まで行くと、構内の電話で三浦署長にかいつまんで情況報告をした。ついで駅前広場にでてタクシーを摑まえ、大広場の川田弁護士の事務所を訪れた。
次は、場面としては大連市街から旅順へ向かう道中、現在の星海広場付近なので、大連博物館から出て陸側を撮った写真が近いのかな。風景は当時と全然違うと思うけど……
「鬼貫さん!」
とナタリヤ越しにアレクサンドルの手が肩をたたいた。
「わたしの家はあの小道を入って行きます」
右手の丘と丘の間を指さした。その丘の上にはどっしりとしたドイツ風の邸宅や英国風のコテージが、青や赤の屋根瓦も美しく建ち並んでいる。白やチョコレート色の壁、蔦の這う壁。山腹から海岸にかけて散在する住宅はまったく絵のようである。ただここが要塞地帯なのがうっとうしかった。憲兵がどこから見張っているかもわからない。
『ペトロフ事件』を読んで印象的だったのは、謎解きよりも、戦前の大連で日本人とロシア人と中国人が大きな争いもなく共生している描写だ。もちろん、鮎川が満鉄職員の子息だったからという点は考慮するべきかもしれないが、作中で描かれる通り、王巡補やサヤーピン警部のように大連や満州国の警察署へ勤めていた外国人は実際いたのだろうし、旅順の農村で暮らす中国人が日本人など意に介していなかったこともそうだったのだろう。
サヤーピン警部や被害者ペトロフの一家のように大連、満州国に住んでいた白系ロシア人の人々は、日中戦争後(つまり、大連博物館で展示されていたように、ソ連赤軍によって大連が「解放」されたあと)、いったいどうなってしまったのだろうかと思った。