ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『13・67』(陳浩基/2014)

 陳浩基は香港の作家。2011年、『世界を売った男』が台湾の島田荘司推理小説賞を受賞し、日本でも知られるようになった。
 本作『13・67』は受賞後日本翻訳第2作であり、二人の香港警察官を主人公とした6作の連作短編集。2013年から1967年まで時代を遡行し、香港史を陰に陽に描いている構成が最大の特徴。

13・67 (文春e-book)

13・67 (文春e-book)

 

  まず印象的なのは、推理小説の中でも「本格派」と呼ばれる系統、殊いわゆる「新本格」の影響をモロに受けたと思しきロジックとどんでん返しを詰め込んだ作風である。著者がこうしたことを明言しているわけではないけれど、自分以外にもそれを感じている人はいるようだ。

  自分も「分かる分かる!」という感じで、ディーヴァーは事件の裏構図によってどんでん返しとする手つきが、連城は「そんな動機でそこまで人殺す?」みたいな異常性が、横山は警察組織内の暗闘とロジックが結びついている辺りが、それぞれ通じるところがあるなと読みながら思っていた。
 ちなみに、自分は、登場人物の退場と出現の鮮やかさの手つきが法月綸太郎の味わいもあるな、などとも感じていた。なお、著者本人は少なくとも横溝正史京極夏彦清涼院流水を読んでいるようだ(この3名を読んでいるということは、当然……である)。*1
 おなじく島田荘司推理小説賞を受賞した『虚擬街頭漂流記』(寵物先生)を読んだ時も思ったけれど、日本のマイナーサブカルチャーであるところの「本格派」などというものが海外の人にも影響を与えているのは、素直に嬉しいことだ。表面的な意匠でなく、スピリッツの部分であれば、なおさら。
 一方、香港を舞台として主人公たちが香港人であることから、日本の推理小説とは微妙に異なるキャラクターの考え方、喋り方があり、そこは逆に新鮮で面白かった。悪を憎み、正義を愛するストレートな価値観も、今の日本の警察小説が比較的ダークな傾向だからこそ、対比的によかった。
 以下、ネタバレしつつ各編について記していく。

「黒と白の間の真実」(2013年)

 どちらかといえば集中で本作が一番異色だ。昏睡した名探偵の脳波を使って謎解きをするという、「21世紀本格」っぽさというか、賞に名前のある島田荘司を最も意識したようなアイディアである。真犯人の動機はまさに「そんな動機でそこまでする?」という感じで、連城三紀彦テイストを濃密に感じさせる。

「任侠のジレンマ」(2003年)

 ここからが実質のメインというか、名探偵關振鐸(クワン・ザンドー)の独壇場が始まる。マフィア同士の抗争で捜査が手詰まりになっていく刑事駱小明(ロー・シウミン)に、クワンが裏で工作していた構図を明らかにする。

「クワンのいちばん長い日」(1997年)

 自分は集中で一番好きだ。香港の中国返還を直前に控えているが、直接事件の真相とは関係ない。中国マフィアの密入国、雑居ビルから露店に劇薬を振りかける事件、さらに凶悪犯の脱走と事件が重なる。同時並行型と思わせておきながら、クワンの推理でそれらがすべて真犯人の計略であったことが明らかになる。脱走した凶悪犯がクワンによって思わぬところから見つかるハッタリ具合は、むしろ島田荘司御手洗潔ものの味わいすらある。クワンが再就職を決意する締めもよい。

「テミスの天秤」(1989年)

 雑居ビルに潜む凶悪犯を監視するところから物語は始まる。これも、「自分の出世のために昔の女を捨てる」という古典的な殺人動機が、異常にトリッキーな構図に昇華されており、連城っぽいというか、チェスタトンというか、遭遇した事件を奇貨として裏でもう一つの事件を仕込む真犯人、そして、表向きの事件から消去された真犯人の行動が名探偵クワンによって明らかになるさまは法月綸太郎の「身投げ女のブルース」っぽさもある。

「借りた場所に」(1977年)

 誘拐ものまであるのか! いいねえ。ミステリにおいて誘拐が発生すればそれは偽装誘拐なので、事件の構図自体は普通なのだが、途中、クワンが窃盗を働き出したところで、善悪が突然逆転するさま(そして最終的にさらに転倒が起こるさま)がディーヴァーっぽい。イギリス人から見た香港を示すタイトルも洒落ている。

「借りた時間に」(1967年)

 最初の事件であり、これまでの短編が三人称だったところ、突然本編の語り手は「私」となるところから、名探偵クワンはいったい誰なのか? というのが劇中の爆弾テロ事件とは別に読者に向けられた謎かけとなる。候補は3名で、語り手である「私」か、私から見た「兄貴」か、私と事件解決に奔走する警官四四四七号、通称「アチャ」かである。ラスト直前まで私=クワンのように読んでしまうが、アチャ=クワンとなる。が、この謎かけ自体が一種のミスディレクションとなっていて、「私」は第1話の真犯人であるところの王冠棠ということが最後に判明する。また、恥ずかしながら、香港でも日本の新左翼のような爆弾テロがあったことを初めて知った。


 日本翻訳前作『世界を売った男』は島田荘司の強い影響を受けた作風だったが、本作はさらに深みを増し、日本の本格派のような緻密なロジックとトリッキーな構図、それに香港を舞台としたエキゾチシズムにより、安定感と新鮮さを同居させた作品で、こういった「読んだことのない推理小説」が読めるというのは、まったくもってありがたい話である。

 

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