『ファントム』(上下)(ディーン・R・クーンツ/1983)を、6年前に一度読んでいたが、ふと思い立って再読した。
ファントム〈上〉 (ハヤカワ文庫NV―モダンホラー・セレクション)
- 作者: ディーン R.クーンツ,大久保寛
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1988/08/01
- メディア: 文庫
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
ディーン・R・クーンツはアメリカのモダンホラー作家。本作『ファントム』は代表作の1つで、1998年に映画化されている。映画の主演はクレジット上、格上のピーター・オトゥールになっているけど、作劇上はベン・アフレックになるのかな。
山間の小さな町スノーフィールドで医師を営むジェニファー・ペイジは、親の死をきっかけに年の離れた妹リサを引き取ることとした。が、二人がスノーフィールドへ戻ると、町はもぬけのからとなっている。そして、次々と発見される住人の遺体。遺体に外傷はなく、みな恐怖に満ちた表情で固まっていた。ジェニーは近隣の街サンタ・ミラへ通報する。サンタ・ミラには優秀な保安官ブライス・ハモンドがいた。ブライスは部下を引き連れスノーフィールドを訪れる。彼らは住人が今わの際に書き残した文字「太古からの敵」を目にするのだった……
映画では保安官ブライス・ハモンドをベン・アフレックが、途中から登場するキーパーソン、ティモシー・フライトをピーター・オトゥールが演じている。
恐竜絶滅、メアリー・セレスト事件、そして伝説上の悪魔を「太古からの敵」というキーワードで一本に結びつける着想が見事で、やはりSFは着想が命だと思う。スティーブン・キングの『IT』と少し似たテイストだけれども、スピーディーな展開かつストレートなハッピーエンドで、個人的には『IT』よりも好きだ。
各章をセリフで締めることが多いのだが、そのセリフの切れ味が実にいい絶望感を生んでいる。
「どんなふうに死んだにせよ、即死だったにちがいないわ。病気が原因ではなかったし、争いもなかったようよ。痛みも感じなかったかもしれないわ」
「でも……悲鳴をあげているあいだに死んだみたいな顔よ」(「2 帰宅」)
ジェニーは右手のリボルバーをみつめ、うなずいた。「持ってたほうがいいかもしれないわね」
「そうね。でも……それがあっても、あの人は助からなかったのね?」(「5 三発の銃弾」)
ブライスはジェニーのほうを向いた。「われわれが到着する直前、あなた方が教会の鐘の音とサイレンを聞いたとき、スノーフィールドで何が起こったにせよ、それはまだ終わっていないと感じたとおっしゃいましたね」
「ええ」
「どうやらあなたの言うとおりのようです」(11 調査)
さて、今回再読して気になったのは、『寄生獣』(岩明均)との共通点である。
『ファントム』にフレッチャー・ケイルという登場人物がいる。フレッチャー・ケイルは、主人公格の一人であるブライス・ハモンド保安官が取り調べている殺人容疑者である。始めはハモンドの優秀さを描くためだけの噛ませ犬かと捉えていたが、意外にもその後活躍する。ケイルはスノーフィールドでの騒動を機に、護送中、警官を殺害し、脱走する。そして、スノーフィールドでの騒動が終結したあとのエピローグで、ハモンドたちを抹殺するために戻って来る。
『寄生獣』でも浦上という殺人鬼が登場する。始めは収監されているが、市役所の騒動のさなか刑事を殺して脱走し、エピローグで主人公新一の元へやって来る。そして、新一と信念をかけて対決し、敗れる。
もちろん、サブキャラの殺人犯が途中で脱走してラストで主人公に問いかけをするという話は『ファントム』、『寄生獣』に限らないのだが(例えば、『羊たちの沈黙』とか)、『ファントム』の日本語訳出版が1988年、『寄生獣』の連載が1988~1995年なので、『寄生獣』の作者岩明均が『ファントム』を読んでいたとしてもおかしくないな、と思ったりした*1。