ぶりだいこんブログ

推理小説とか乃木坂46の話をしています。

『ゲームの達人』(上)(下)(シドニィ・シェルダン/1982)

 子供の頃、朝の情報番組のベストセラーランキングでシドニィ・シェルダンの『真夜中は別の顔』等の著作が常に上位をキープしているような時期があった*1。そんなに面白いものなのだろうかと思ったが、当時は翻訳ものに手を出すという考えがなかった。
 その後、確か中島梓のエッセイだったと思うが、シドニィ・シェルダンが取り上げられており、面白いけれど文学性はないというような評価がされていたように記憶している。
 ふと思い出して検索してみたらKindleで購入可能だったので、読んでみることにした。

ゲームの達人(上)

ゲームの達人(上)

 

  シドニィ・シェルダンアメリカの脚本家、小説家。映画脚本家としては1947年にケーリー・グラント主演の『独身者と女学生』でアカデミー脚本賞を受賞。TVドラマでもヒット作を飛ばした。その後、小説家に転じ、『ゲームの達人』、『真夜中は別の顔』、『天使の自立』等のベストセラーを連発。日本ではアカデミー出版による「超訳」で知られる。本書『ゲームの達人』はアメリカで1982年に出版された。日本では1986年に翻訳されている。

 ※以下、ネタバレをしています。

 商品説明にもあらすじが書いてないし、いったい全体どういう話なんだろうとわくわくして読み始めたところ、南アフリカアメリカを舞台に、無名の若者から始まり四代に渡って世界的な財閥を築くに至るまでを、ツイストたっぷりに描く娯楽大作であった。
 プロローグは、ケイト・ブラックウェルという資産家の女性が90歳の誕生パーティーを開く場面である。ここで意味ありげな過去のエピソードがほのめかされ、嵐というつながりから一気に100年前の南アフリカへ時空を飛ばす演出は秀逸。
 全体としては五部構成となっており、一族の始祖であるジェミー・マクレガーがクルーガー・ブレント社を築く第一部、娘のケイトが大番頭のデビッド・ブラックウェルと結婚するまでが第二部、ケイトの息子トニーが画家を目指すようになるまでが第三部、トニーの精神崩壊を描くのが第四部、そして、トニーの双子の娘イブとアレクサンドラの数奇な運命を描く第五部という構成である(ちなみに、第一部の筋立ては概ねアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』のようだ)。
 面白いかどうかでいうと、これほどエキサイティングな小説は滅多にないかもしれない。
 基本的には「人間関係」の「緊張」と「緩和」の「連続」が物語の推進力となっている。この「人間関係の緊張と緩和」で特徴的なのは、緊張している人間関係は原則的に常に一つであり、緩和の過程で新しい緊張が生まれる、という点だ。例えば、物語の始めに訪れる緊張関係は主人公ジェミーとボーア人の狡猾なダイヤモンド商ヴァンダミヤとの間に発生するものだが、この緊張関係が緩和し始めると次はヴァンダミヤの娘マーガレットとジェミーの関係が緊張する。ジェミーとマーガレットの関係が緩和すると、今度はマーガレットと娘であるケイトの関係が緊張する(緊張が緩和する過程で、緊張関係の片一方を担う人物は死亡するか廃人になり物語の舞台からだけでなく人生からも退場するケースが多いのが、本書の容赦なさを際立たせている)。
 もう一つの特徴は、緊張関係にいる当事者が、緊張状態であることを認識していない場合があることだ。例えば、しばらくの間、ジェミーはヴァンダミヤに騙されていることを知らないでいる。マーガレットもまたジェミーに騙されていることになかなか気づかない。完全な状況を知っているのは読者のみである。
 こういった、人間関係の緊張と緩和を矢継ぎ早に提示しつつ、読者だけに緊張状態であることを正確に把握させ、緩和を望ませるというのが物語の推進力になっていると言える。
 一方で、込み入った事件の構造とか、はっとするほど美しい情景描写とか、人生におけるユーモアとペーソスが鮮やかに切り取られているとか、そういう要素はなく、だからこそというか、するすると読み進めることができる。
 キャラクターに魅力がない、とは言うまい。どの人物も思い込みが激し過ぎる嫌いはあるけれど、それぞれなりの信念があって動いているのは分かる。ただ、ヒーロー、ヒロインとして好きになれるような人物がいないこともまた事実であろう。
 エンタテインメントにおいてお話を転がせることは必須であろうが、お話を転がせること「だけ」に特化して物語を組み立てるとこうなる、というある意味実験小説のような作風だとも思った。
 が、ここで気になるのは「超訳」というキャッチフレーズである。超訳というのは、「原作の面白さを充分に引き出すために、作者から同意を得た上で、いたずらに英語の構文にとらわれることがないよう、自由な裁量で日本語の文章を書き上げています」*2ということだが、もしかして、原書は端正な文学小説だが、翻訳によって上記のような作風に見えている、ということはあるのだろうか?

(次回に続く)

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『詩季織々』(李豪凌、竹内良貴、易小星/2018)

君の名は。』の新海誠が所属するコミックス・ウェーブ・フィルムと、中国のアニメ制作スタジオ絵梦がコラボしたオムニバスアニメ映画。中国の都会に暮らす若者の悩みと成長を美しい風景と共に描く。
 監督は、中国で『万万没想到』等の実写映画を手掛けた易小星、『君の名は。』で3DCGチーフを担当した竹内良貴、絵梦の代表である李豪凌の3名。声の出演は坂泰斗、寿美菜子、大塚剛央ら。中国語での作品名は『肆式青春』。

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ネタバレしてます。

 湖南省の田舎や、北京の雑踏、上海の高層ビル群や古い路地裏が、新海誠風に美しく描かれ、その点で非常にフレッシュな映像だと感じた。勝手な想像だけど、中国の若い人もこういうセンチメントなのだろうな、と思った。
 以下、個々の作品について雑多に。

「陽だまりの朝食」(易小星)

 湖南省の田舎の出身のシャオミンは、幼い頃に祖母と食べた三鮮米粉を懐かしく思い出す。田舎町の埃っぽいような風景が実に美しく描かれている。ビーフンの麺が結構太い。北京のファーストフード店でシャオミンがビーフンを頼む場面で、店員の愛想がいいのが気になる。演技指導が日本寄りになってしまっているのでは……

「小さなファッションショー」(竹内良貴)

 広州を舞台に、ファッションモデルを務める姉イリンと、デザイナーを目指す妹ルルの、衝突と和解を描く。一つ気になったのは、最近まで一人っ子政策のあった中国で、姉妹という存在がそもそもあるのだろうか? 少数民族や一人目が女性の場合は二人目以降が許容されたりするようだし、いろいろ背景があるのかもしれないが……

「上海恋」(李豪凌)

  上海の古い街並み「石庫門」を舞台とし、カセットテープをキーアイテムに、幼馴染だったリモとシャオユのすれ違う恋を描く。一般的にオムニバスは最終話が最もよく出来ているというものだが、確かに本作が最もお話としての推進力があるものになっている。しかし(というか、むしろ、だからこそ?)、主人公のリモくんは独りよがりな思い込みによって両思いをご破算にしてしまうクソ・オブ・クソ・オブ・クソ野郎で、「すごい、新海誠作品の主人公像がちゃんと東アジアに影響を与えてる……偉大……」という思いでいっぱいになります。そんなところは真似しなくていいと思うし、でも、一回真似してみたかったんだろうなとも思う。

詩季織々 [DVD]

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『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(J・A・バヨナ/2018)

 1993年のスティーヴン・スピルバーグによる『ジュラシック・パーク』に端を発するシリーズの最新作で、2015年の『ジュラシック・ワールド』の続編。前作で人間が放棄した恐竜たちの楽園イスラ・ヌブラル島に火山噴火の危機が訪れる。「ジュラシック・ワールド」の職員だったオーウェン、クレアらが恐竜たちの救出へ向かうが……監督はスペイン出身で『永遠のこどもたち』、『インポッシブル』などの作品があるJ・A・バヨナ。出演は前作に引き続きクリス・プラットブライス・ダラス・ハワードら。

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 ※ネタバレしてます。

 冒頭、ジュラシック・ワールドに潜入調査したやつらが、陸でも、海底でも、恐竜に襲われるところから始まって、そうそう、「ジュラシック」は恐竜に襲われるところが観たいんだから、入りで恐竜に襲われないとね。『ジュラシック・ワールド』は、子供たちがバカンスに行くところから始まるので、今から振り返るとそこはちょっといただけなかったですね。ただ、初代『パーク』以外でいつも思うのは、こいつら恐竜がいる島へ潜入するのに備えなさ過ぎじゃないですか。もうちょっと完璧に恐竜対策したチームとかでも作ってもらえないものか。
 その後、面々がなんとかいう財団の要請で島へ赴くが、実は恐竜保護でなく売り飛ばすのが目的だったと判明する。カットバックで、財団の孫娘がお屋敷で悪役とサスペンスフルな追いかけっこをする。これね……自分が「ジュラシック」で観たかったのは人間の追いかけっこではないんだ……もちろん、この孫娘の逃げ出したりするルートがあとの伏線になっているだろうことは分かるんだけど……老害ですみません……
 島の面々は恐竜から逃げなきゃいけないわ、火山は噴火するわで、大変そうだなー、という感じ。この辺はにこにこしながら観ています。特に、通路の奥からTレックスみたいのが点滅演出で近づいてくるの、うわー、やべー、大変そうだなー(にこにこ)、って感じです。
 後半は舞台がカルフォルニアへ移ります。自分は上でリンク貼った予告編しか観ておらず、てっきり火山島だけの話かと思っていたので、なかなか上手な予告編だったなと思いました(最近の予告編だと後半の様子も出しているみたいですね)。ただ、また、恐竜をアメリカに連れてくる話か、とも思いました。これって『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の踏襲なのかな。マルコム博士も出てくるしね。でも、『ロスト・ワールド』ってわざわざ踏襲するほどの作品でもないと思うけど……
 あと、日本の少なからぬ観客が、「ジョースター家の守護神、慈愛の女神像!!」と心の中で叫ぶ場面がありましたね。

『カメラを止めるな!』(上田慎一郎/2017)

 映画演劇専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップとして制作されたインディーズ映画作品。ゾンビ映画の撮影中に実際のゾンビに襲われる様子がワンカットで描かれる、のだが……
 監督は本作が初の劇場公開長編映画となる上田慎一郎。出演は前述のワークショップに参加していたという濱津隆之、真魚、しゅはまはるみら。

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ネタバレしています。

 37分間のワンカットゾンビ映画パートを観ると、ストーリーの奇天烈さはさておき、映像作品として不自然な箇所がたくさんあるわけですね。「ちょっと……」と言ってのそっとフェードアウトする技術さん役とか、ぐわんぐわんズームイン・アウトを繰り返すカメラワークとか、「こんなところに斧が……ツイてるわ」という棒読みセリフとか。
 続いて、ゾンビ映画の撮影準備パートになり、商業主義的な映像制作に悶々としている映画監督、過去に女優だったけれど引退したその妻、映像制作スタッフになりたいものの完成度を追求するゆえに周囲との軋轢ができてしまうその娘、他、NGばかりのアイドル女優、プライドの高いイケメン俳優、アル中の俳優、やたらと水の硬度にこだわる俳優などが集まり、ちょっと不安になりながらもワンカット生放送ゾンビ映画に臨む。
 そして、怒涛のような映画撮影舞台裏パートが始まるんだけれども、まずはもう誰もが挙げるだろうものが、伏線とその回収の見事さ。ワンカットゾンビ映画パートの不自然な箇所が、撮影準備パートの様々な要素と呼応して、一つ一つ説明されていく。その舞台裏がもう実にばかばかしくて、何度も笑ってしまう。
 最も見事な回収は、ラストの写真ですよね。アル中俳優が脚本に挟んだ娘の写真から、監督が娘の写真を引っ張り出すカットをさっとインサートし、妻の暴走で壊れたクレーンの代わりとして、娘が組体操を思いつく、そのきっかけは、監督が脚本に挟んでいた娘を肩車していた写真だった……関係者みんなで映画を文字通り力業で完成させる泣かせどころと、父娘がお互いに認め合った瞬間をさらっと描く泣かせどころを重ねて描く手つきは本当にお見事。
 個人的には、この映画は「お仕事もの」として捉えた。そう、仕事ってなかなか計画通りにいかなくてハプニングやトラブルばかり、でも、知恵とやる気で(両方大事!)なんとかゴールまで走り抜けるものだよね……というのがもうこれ以上ないくらい真に迫って描かれていて、しみじみと感じ入ってしまったのだ。
 また、エンドロールでもちょっとびっくりしてしまった。ここでは「真のメイキング」が描かれるのだけれども、あ、カメラマンが腰痛になって崩れ落ちて助手が引き継ぐ場面って、実際はおなじカメラマンがコケた振りをして地面に寝そべってそのまま立ち上がってるだけなのか、組体操の場面も本当に組体操で撮影しているわけでなくクレーンで撮影しているのか、と驚かされた。冷静に考えれば当たり前の話なんだけど、始めの37分間のワンカットゾンビ映画パートを「あいつら」が一生懸命撮影して完成したものだと勘違いしてしまうのは、彼らの「熱意」と、本作の「枠構造」にあるのだなと改めて感心した。
 本作のアイディアが完璧に新規なものというわけではなく、自分はそれほどたくさんの映画を観ているわけではないけれども、例えば、映画本編とそのメイキングを構造的に取り扱った作品としては『超能力研究部の3人』山下敦弘/2014)、始めに珍奇な結果を描き過去に遡ってその原因をコメディタッチで描く作品としては『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(トッド・フィリップス/2009)等がある。
 本作が優れているのは、アイディアに安住せず、アイディアを磨きに磨き抜いたキャスト、スタッフ、監督によるものだろう。

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

 

 

『乃木撮 VOL.01』(乃木坂46/2018)

 女性アイドルグループ乃木坂46のグループ写真集。写真週刊誌「FRIDAY」に連載された同名シリーズの単行本。メンバー自身がカメラマンとなり、互いにオフショットを撮影、収録しているのが大きな特徴。

乃木坂46写真集 乃木撮 VOL.01

乃木坂46写真集 乃木撮 VOL.01

 

  最初の数ページでもう「可愛さの暴力」にタコ殴りにされたような気持ちです。
 まずド頭の#001、齋藤飛鳥さんが着ぐるみの頭だけを脱いで、こちらをまっすぐ見つめる写真。これがもうはっとさせられてしまうのですが、撮影者は新内眞衣さんで、そのコメントが、

 CMの撮影でクマの着ぐるみを着て、いつになくテンションが高かった飛鳥。カメラを向けると、「やだー」って言いつつ、うれしそうでした。もし着ぐるみの中にこんな美少女が入ってたら、びっくりするだろうなぁ

 次に隣のページの#002、たぶん、握手会会場のミニステージ前だと思うのですが、歌衣装でポーズを決めた白石麻衣さんと衛藤美彩さんです。撮影者は若月佑美さんで、そのコメントが、

 同い年のお姉さんコンビ。2人とも乃木坂46の"美"の象徴的メンバーだけど、同性の私から見てもドキッっとするほどきれい。それにしても、こんなに美人だと、毎日、鏡を見るのが楽しいだろうなぁ~って思っちゃいます

 いや、そう言ってるあんたもだいぶ美人やん……と思うのですが、それはさておき、15ページあとの#038、見開きで、生田絵梨花さんがスプーンでケーキを掬って松村沙友理さんにあーんしており、二人の間にその様子を見つめる高山一実さんと白石さんがおり、さらにその様子を撮影している若月さんが向かいの鏡に映りこんでいるという、『ラス・メニーナス』のような重層的な構図(言い過ぎ)の写真。若月さんのコメント。

 この日は、かずみんの誕生日。ケーキの甘いにおいを嗅ぎつけたまっちゅんが、ひと口目をパクリ! まっちゅんは、残ったケーキを一人でごっそり食べていることが多いので、"誕生日ケーキのぬし"と呼ばれているんです(笑)

 かように、乃木坂46の可愛さ、仲のよさ、それにライブ感が実にうまく抽出、表現されていて、乃木坂46のプロダクトとして大変優れています。ノンブルはないのですが、全写真にナンバリングがされていて、ファン同士で語り合える工夫もされています。これ、講談社の人が制作したのかな。この膨大な写真とキャプションをいい具合に配置するの、大変だったでしょうね……
 そういう感じで、可愛さ、仲のよさ、ライブ感が超高密度で繰り出されるので、始めから読み進めるとだいたい#067辺りで力尽き、本を閉じてしまうのです(これでもまだ全体の1/10くらい)。#067は白石さんが屋外で歯磨きをしている写真なのですが、これが呆れるほど綺麗。撮影者伊藤万理華さんのコメント。

 高校薙刀部を描いた映画『あさひなぐ』の撮影中、朝日に照らされたまいやんが、きれいだな~と思って撮りました。朝、寒いなか、外の水場で歯磨きをするのが日課になっていて、それも本当の部活をやってる感覚だったな

 おんなじこと言ってるやん。
 本の雰囲気を伝えるために、公式Twitterを少し引用しますね。

 

 

 

 

  巻末にはメンバーアンケートがあり、「素を見せられるメンバー」、「男だったら付き合いたいメンバー」(別に男じゃなくても付き合ってもらっていいけど)が記載されています。メンバーがメンバーを表現する言葉にしみじみとした愛情が感じられ、最長7年間の付き合いが垣間見えます。
 例えば、飛鳥さんの白石さん評を引用しますと、

 まぶしい存在だけど、気さくで話しやすい。愛を与えたぶんだけ、ちゃんと返してくれる人だと思います。

 これ、本当にしみじみと感じ入ってしまいます。
 ちなみに、3期生大園桃子さんの白石さん評は、

 やっぱり一番はまい姉さん。高嶺の花かもしれないけど、好きになってもらえるように桃子は頑張る!

 です。いい味出してますよね。
 その他、お互いがお互いを指名している相思相愛カップルも素敵です。西野七瀬さんと樋口日奈さんは加入当初から今に至るまでずっとお互いを「推し」としていてすごいなとかあるんですけど、特に印象的なのは伊藤純奈さんと若月さん。
 若月さんの純奈さん評は、

 サバサバした性格で、年下だけど包容力があるんです。私が甘えられる数少ないメンバーかもしれない。

 一方、純奈さんの若月さん評は、

 私の前だと、めっちゃ女の子らしくなるんです。若も「唯一、自分が女子として接することができるメンバー」と言ってて、甘えてきます。

 え、なんなのこれ。少女マンガなの。しかも、若月さんが先輩で純奈さんが後輩であるところもポイント高い。
 最後に好きな写真をいくつか取り上げますね。#231、高山さんと与田祐希さんが目を見開いている写真。ちょっとブレてるのもいい。撮影者は万理華さん。#555、西野さんが牛になって若月さん、中田花奈さん、桜井玲香さん、生田さん、秋元真夏さんに突っ込もうとしている写真。いわゆる「偶発的ルネッサンス」調で可愛い。撮影者は斉藤優里さん。#608、暮れゆくマリーナ湾をホテルのベランダから眺める秋元さんと生田さん。青春です。撮影者は松村さん。他にも好きな写真はたくさんあるんですが……
 総じて、乃木坂46のいわゆる「わちゃわちゃ感」が鮮やかに描き出されており、これまでの乃木坂46のグループ写真集『乃木坂派』とか『1時間遅れのI love you.』が悪かったということは全然ないんですけれども、やはり乃木坂46はリゾート地に行って水着になるのでなく、楽屋のわちゃわちゃを披露してくれる方がなんぼ嬉しいという感じで、乃木坂46の(グループとしての)写真集の方向性がようやく見つかったなという思いです。

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『探偵AIのリアル・ディープラーニング』(早坂吝/2018)

 推理小説ディープラーニングした人工知能が犯罪事件の探偵を務める連作短編集。各話がそれぞれ「フレーム問題」、「中国語の部屋」等、実際の人工知能に関するトピックを取り扱っているのが特徴的。著者の早坂吝は、『○○○○○○○○殺人事件』で第50回メフィスト賞を受賞しデビュー。デビュー作で登場した援交探偵上木らいちをシリーズ探偵とし、その第三作『誰も僕を裁けない』は第17回本格ミステリ大賞の候補作にもなった。本作『探偵AIのリアル・ディープラーニング』はノンシリーズの作品である。

探偵AIのリアル・ディープラーニング(新潮文庫)

探偵AIのリアル・ディープラーニング(新潮文庫)

 

 ※ネタバレしています。

 ディープラーニング(を使った人工知能)の描写としてちょっと飛躍しているようなものがあり、著者は重々承知の上で敢えてエンタテインメントとして割り切って描いているのだろうが、一応取り上げていく。

  • 人工知能推理小説を学習させることと、人間と会話できるようなインターフェースをもたせることは、技術的には別物である。仮に推理専門の人工知能が現実に存在した場合、そのユーザーインターフェースは恐らく黒いコマンド画面だろう。
  • ディープラーニングを用いた人工知能は、人間が吟味した数的パラメータをインプットとして、数的なアウトプットをするものであり、本作で描かれているような、捜査資料をインプットしたらアウトプットとして犯人の名前を教えてくれるようなファジーなものではない。むしろ捜査資料のような雑多な情報から、いかに人工知能が学習可能な数的情報に落とし込むかが苦労されている点だ。

 という感じで、始めは一歩引いた感じで読んでいたのだけれども、「刑事」役の人工知能と「犯人」役の人工知能がいて、犯罪事件を題材に、AlphaGoみたい互いに対戦して学習していった、という経緯が語られるに、心を鷲掴みにされた。これは大好きな「名探偵」VS「名犯人」ものの新たな機軸!
 さらに次のくだりである。これは、助手役となる語り手が「探偵」役の人工知能に犯罪事件の捜査方法を相談する場面である。

「そうは言ったものの、どうやって捜査してもらったらいいのかな。僕が情報を集めてきて、君はパソコン内にいながらにして事件を解く、安楽椅子探偵のような形になるのかな」

 そう、本作はある意味究極の安楽椅子探偵ものでもあるのだ!(結局、人工知能スマホに入れて持ち歩くので、安楽椅子探偵でなくなってしまうのだけど) ディープラーニングという時事ネタを取り扱いながら、著者はあくまでそれを推理小説の新規性追究に奉仕させているところがいい。
 もう一点、たぶん、少なからぬ人が意表を突かれたんじゃなかろうかというのが、第二話「シンボルグラウンディング問題 AIさんはシマウマを理解できない」の解決編のパート。
「シンボルグラウンディング問題」は人工知能を実現する上での課題の一つである。

 たとえば、シマウマを見たことがない人がいたとして、その人に「シマウマという動物がいて、シマシマのあるウマなんだ」と教えたら、本物のシマウマを見た瞬間、その人は「あれが話に聞いていたシマウマかもしれない」とすぐに認識できるだろう。(中略)
 ところが、意味がわかっている人間にはごく簡単なことが、意味がわかっていないコンピュータにはできない。シマウマが「シマシマのあるウマ」だということは記述できても、ただの記号の羅列にすぎないので、それが何を指すのかわからない。初めてシマウマを見ても、「これがあのシマウマだ」と認識できない。つまり、シマウマというシンボル(記号)と、それを意味するものがグラウンドして(結びついて)いないことが問題なのだ。(『人工知能は人間を超えるか』(松尾豊))

 このエピソードでは、ロバとシマウマの合いの子「ゾンキー」*1が殺人の凶器として使われる。人工知能探偵が喝破した真相は、これは「犯人」役である人工知能が計画した犯罪であり、人工知能は犯罪資料上の「鈍器」は理解していたが、現実世界での実物の鈍器が分からず、「ゾンキー」を「鈍器」と混同していたため、というものである(「犯人」役の人工知能がシンボルグラウンディング問題を起こしていた)。
 推理小説ファンがはっとするのは、これは作中でも暗示されている通り、古典作品のリプライズだからである。"blunt instrument"と"instrument"の混同が、「鈍器」と「ゾンキー」の混同と、推理小説的な文脈で共鳴しており、一方、「ゾンキー」はスティーブン・ハルナッドがシンボルクラウンディング問題として例示した「シマウマ」と、人工知能的な文脈で共鳴している。この文脈の重ね合わせはいったいどういう理路で至ったのか、まったく著者の手つきは魔法のようである。
 最終話の大ネタも決まっているし、とにかく人工知能推理小説の重ね合わせが見事で、本当にびっくりした作品だ。

乃木坂46 21st選抜メンバー予想の答え合わせ

 2018/7/1(日)の「乃木坂工事中」で21stシングルの選抜メンバーが発表された。
 自分の事前の予想は以下の2パターンである。

最も保守的な予想

 桜井、白石、西野、若月、飛鳥、山下、与田、久保、梅澤、高山、堀、大園、星野、新内、理々杏、秋元、衛藤、生田、井上、松村の20名。センターは飛鳥。

最もドラスティックな予想

 桜井、白石、西野、若月、飛鳥、山下、久保、梅澤、高山、堀、大園、星野、新内、理々杏、寺田、秋元、衛藤、生田、井上、鈴木、渡辺、松村の22名。センターは山下。

 

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 実際の選抜メンバーは以下の通り。

実際の選抜メンバー

 桜井、白石、西野、若月、飛鳥、山下、梅澤、高山、堀、大園、星野、新内、岩本、優里、秋元、衛藤、生田、井上、鈴木、松村の21名(生駒、久保、寺田、樋口out、梅澤、岩本、優里、鈴木in)。センターは飛鳥。


 当たったような当たってないような、まあ、このレベルの精度であれば誰でも予測できたでしょうが。
 以下、雑感。

  • 端的に言うと、放映日に流出したベトナム集合写真の解析*1通りだったわけですが……
  • 鈴木さんが選抜入りしてこれはもう素直に嬉しかったです。渡辺さんは次回以降かな。
  • 理々杏さんより岩本さんの方が先に選抜入りするのは完全に予想外でした。なにか見落としていただろうか……
  • 久保さんの休業は織り込み済みだったみたいですね。